旅とスマートフォン
あたりまえのことなのだろうが、世間ではスマートフォンの使い道が広がっているようだ。
先月の北イタリアへの旅でも、長距離バスの乗客管理に使われていた。ネットで購入して印刷したチケットを持参すると、バスのドライバーがQRコードをスマートフォンで読み取ってチェックイン作業をしてくれる。乗客名簿はなくて、ペーパーレスだ。
宿泊したあるペンションのオーナーは顧客管理をスマートフォンで行っていた。宿代はクレジットカードで支払ったのだが、決済処理もそのスマートフォン経由だ。客の注文をスマートフォンで受けているカフェもあった。専用端末やPCで行っていたことをスマートフォンで処理するようになってきている。
旅行者としてもどこにいても情報が得られるスマートフォンは便利なのだが、頼りすぎるのも如何なものだろうか。例えばスマートフォンのナビ機能に頼ってしまうと街を探検するという面白さを大部分捨ててしまうことになる。地図を読んで通りの名前を見つけ、場合によっては通りがかりの人に道を尋ねるという作業がその街の印象を深めてくれるし、時間はかかってもウロウロと余計な廻り道をすることで偶然になにかを発見できることもよくあることだ。
私はといえば、スマートフォンはおろか携帯電話も所有したことがないのだが、今回の旅でも特に不自由とは感じなかった。小型のタブレットは持っていったので宿泊先で情報は収集できたし、待ち合わせする娘夫婦との連絡もそれで済ませた。
話は変わって、主人公達がすれ違いを繰り返して観客をやきもきさせる恋愛映画があるが、例えばトム・ハンクス、メグ・ライアン共演の“めぐり逢えたら“(Sleepless in Seattle)がそうだけど、スマートフォンを普段に使うことが当たり前のことである今となっては「信じられないような昔話」ということになってしまうのだろうな。
追記)
トム・ハンクスとメグ・ライアンのコンビは“めぐり逢えたら“から5年後の'98年に“ユー・ガット・メール“に出演している。その間に社会は「インターネットがあたりまえのもの」へと変化してしまったわけで、その落差にはすごいものがある。
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