目指せエベレスト街道 本番編 Feed

2012年12月29日 (土)

トレッキングを振り返って

かつてランタン谷へソロ・トレッキングして、成功した体験を基に5,000m超えのピークに登頂しようとした今回の計画なのだが、この歳ではちょっと無理なものだった。なにせ19年も前の成功体験だ。

結果はナムチェ・バザール(3,440m)周辺を何日か歩き廻っただけに終わってしまった。

ランタン谷へはカトマンズからバスで12時間もかかってゆっくりとふもとまでアプローチするし、歩き始め地点であるシャブルベンシの標高も1,460mと低いので、時間をかけて徐々に高度を上げていくことになる。それに比べてエベレスト方面はわずか30分のフライトで標高2,840mのルクラに着いてしまう。
3,500m地点までの到達日数はカトマンズから数えて前者が3日、後者が2日だ。

今回、ナムチェ・バザールまではまずまず順調に登れたのだが、到着以降に苦しんだのは、そうした条件の違いもあると思う。

それと体調管理に失敗した。行動中や休息時の体温調整はまめに行ったつもりなのだが、風邪をひいてしまった。それも指摘されるまで自分でわからなかった。

荷物も10kgまでに抑えたのだが、それでも自分の体力ではちょっと持ちすぎだった。特に3,500mを過ぎてからは、10kgが何倍もの重さに感じられるようになった。

ポーターを雇えば荷物の問題は解決するのだが、旅の自由度が大幅に落ちてしまう。

いまから考えるとナムチェから上は荷物を絞り込み、不要な物は宿に預ければよかった。多少高くつくが行く先々の宿でたいていのものは買うことができる。(行動食や予備電池など)
双眼鏡なんかはいくら小型軽量だからといっても論外だった。(もちろん、あれば楽しいのだが)

次にまた挑戦するとすれば、装備の軽量化と荷物の絞りこみだ。
オスプレーのリュックだと50L1kgらしい。

帰りの飛行機は宿のサポートもあって、うまく確保できた。
困ったことがあれば、まずは泊まっている宿に相談してみることだ。彼らはローカルのネットワークを持っているし、泊り客が困っていれば親切に助けてくれる。

フライトマイルがネパール往復できる分は貯まったので、それを使って来年秋に再挑戦するかどうか・・・。でも、もうちょっとのマイルでキューバ往復もできるようになるしなあ・・・、キューバも一度は行ってみたいし・・・。

現在思案中。

2012年12月18日 (火)

トレッキング11日目(11月17日)、カトマンズへ帰還

本日の朝も快晴。フライトも順調にいきそうだ。
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チベタン・ブレッドの朝食後に宿代の勘定。1,510Rだった。
その後は出発準備を済ませて部屋の前で日向ぼっこをしながら待機。

11:30頃、宿の妹さん(正確にはナムチェの宿の女将の妹で、かつルクラの宿の娘)に付き添われてやっと空港へ移動。
ロビーの真ん中で立ったまま、何かのIDを首から提げた男性に運賃140USDを支払う。
支払ったのは良いのだけど、チケットも何もくれない。しばらく待つようにと言われただけ。

そのうちに、その男性も、宿から同行してくれた妹さんもいなくなってしまった。
荷物をかかえてロビーに取り残されてしまい、「ひょっとしてこれは・・・」と不安になってしまったのだが、結果は大丈夫だった。

そうこうしている間にも、次々に飛行機が降り立ち、客を乗せて飛び立つのだが、自分のチェックインはいっこうに始まらない。
ちなみに、飛んでいるのはタラ・エアーだけ。ありがたやタラ・エアー。
その中に混じって一機だけ見たことのないピカピカの機体がどこからか飛んできた。誰かのチャーターなんだろう。
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1時ちょっと前、ようやくチェックインとなり、搭乗券を手に入れる。これで一安心。
1時20分ごろ搭乗。今回の機体は横3シートで、ちょっと大きいやつだった。
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搭乗後は、あっという間に離陸で、2時ごろ無事カトマンズに帰り着くことができた。

空港からタクシーに乗ろうとするが市中心部へのタクシーは協定料金のようで、一律700R。
500Rにせよと交渉したところ、相乗りとの条件付でOKとなる。
待つことしばし、もう一人の客と相乗りし、荷物満載で市内へと向かったのでした。

これにて完

2012年12月17日 (月)

トレッキング10日目(11月16日)、ルクラへ下山

8日目にしてようやく体温が完全に平熱に戻った。今日から下山するというのに。
高所での風邪は治りにくいというし、歳も歳だからな。

朝食を済ませ、チェックアウト。
もう出かけようという時に、宿の若奥さんから「帰りのエアー・チケットを持っているのか?」ときかれた。
「ルクラで買うつもりだ。」と答えると、「今の時期は込んでいるから、電話で予約してあげる。」とのこと。
よその国だったら、うまい話には裏があるのではと疑うところなのだが、ここはネパールなので素直にお願いすることにした。
すぐに電話で明日のフライトを予約してくれ、ルクラでこの宿に行けば大丈夫と、メモをくれた。
途中で一泊してゆっくりとルクラへ下るつもりだったが、明日のフライトなので今日中にルクラに着かなくてはいけない。ペースを上げて下山を開始。

↓見納めのエベレスト
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降りるにつれて、呼吸が楽になっていく。空気のありがたさが身に染みる。
↓標高が低くなると、メロン類も栽培できるようだ。
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↓昼食に寄ったパクディンのロッジは花が満開。
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3時半頃ルクラ着、歩行7時間半ぐらいだった。
宿はルクラ中ほどにあるTashi Delek Lodge。

食堂の壁にThawa Lodgeの若奥さんの写真が飾ってあるので、話を聞いたところ、この宿が若奥さんの実家であることが判明。宿を取り仕切るのは実のお母さんと妹さんだ。
フライトの方は明日妹さんが私に同行して空港まで行ってくれるとのことだった。

一番奥にある、一番良い部屋をもらえた。トイレ付き、前庭付だ。

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ルクラはフライト待ちのため、一泊はしなくてはいけないところ。
こんなこぎれいなカフェも何軒かある。

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その日は私以外に客は来ず、宿泊は私だけ。
夕食にはチベット風ヤキソバを頂く。美味しかった。

2012年12月16日 (日)

トレッキング9日目(11月15日)、ターメからナムチェへ戻る

朝の体温は36.4℃で、昨日と同じで平熱に近い。昨晩は高度のせいか少し頭痛が。

夜明けの写真を狙って東側のサイドモレーンへ登る。
モレーンの上で写真を撮っているのは私だけだ。フィンガーレスの手袋では指が冷たい。

↓ゴンパに朝日が射そうとしているところ。
奥の山々はもうロール・ワリン山群になるらしい。
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↓ターメの集落を見下ろす。
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↓手前はターメの上村、谷沿いにチベットへと向かう交易路が続いている。
途中で右折すればレンジョ・ラ・パス(5,360m)を越えて、ゴーキョへも出ることができる。

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モレーンから降りにかかると、ガイドに率いられた10名ぐらいのグループが軽い荷物で登ってきた。
最後尾のガイドに「どこに向かうの?」と質問すると、「いまから×××ピークに登る。4時間ぐらいだ。」とのこと。(×××は聞き取れなかった。)
おそらく、レンジョ・ラ・パス越えの高度順応のために近くのピークに登るのだろうと思う。
心引かれたのだが、ガイドなしで登るのは私には無理だろうな。

朝食後8時頃にナムチェへの帰路につく。
↓下ってきた道を振り返る。中央の川はターメ・コーラ
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↓帰路途中、尾根中腹に見えるゴンパ
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ゆっくりと下って、ナムチェの宿に戻ったのは1時半頃。
昼食はメインストリート沿いにあるエベレストベーカーリーでトマトソースのスパゲッティ。
まったく期待せずに注文したのだが、ニンニクが効いていて美味しいのなんの。
食べ終わってもしばらくは夢の中にいるような気分だった。(麺はやわらか過ぎだったけど。)

宿での夕食はチキン・カレー。 この宿(Thawa Lodge)の食事は結構に美味しい。Dscn3919

夕食後は下山準備で荷物をパッキングし、就寝。

2012年12月15日 (土)

トレッキング8日目(11月14日)、ターメへ出発

朝の体温は36.4℃とようやく平熱近くになった。

もう一度ゴーキョを目指しても時間はあるのだが、すっかり気弱になってしまっていて、一泊二日でターメへミニトレッキングし、その後はカトマンズへ戻ることにした。

後で考えると、荷物を絞り込んで軽くし、急坂だけ部分的に宿でポーターを頼めば、何とかゴーキョまでたどり着けたかもしれないと思うが、その時はもうそうした気力がなくなっていた。

一泊だけのトレッキングでは必要のない荷物を宿に預け、8時ちょっと前ターメに向けてナムチェを出発。

ターメはエベレスト初登頂で有名なテンジン・ノルゲイの故郷だ。

このルートはエベレスト街道からずっと西に外れ、8,000m峰も望めないので地味なルートなのだが、かつてはチベットとの交易で大いに栄えた道とのことだ。

ターメへのトレッキングは一泊二日で往復できる手軽さにもかかわらず、変化に富んでいて、なかなかに魅力のあるルートだった。

第一にアップダウンが少ないので、体力的に楽だ。第二に谷の入り口部分に針葉樹の美しい森が良く残っている。第三に氷河地形を見ることができる。第四にトレッカーの数が少ないので静かに旅ができる。第五に交易で栄えた地域だけあって、ゴンパ(僧院)などの文化遺産が多い。第六にトレッカーは少なくても、ターメの宿泊設備が充実している。

谷の入り口部分は針葉樹の森が良く残されていて他とは違った印象を受ける。

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森の中で遭遇した大型の鳥、ダフェのメスか?

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ナムチェからも見えるクワンデが見上げるように、そびえ立つようになる。

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ターモ手前Theschoにある門。左の尾根を登っていくとゴンパがあるらしい。

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またしてもヒマラヤ・タールに遭遇

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目的地ターメ方面を奥に望む。右手の集落はターモ、川岸には氷河の跡が。

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氷河地形に入ると、とたんに風景が荒々しくなる。

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登ってきた道を振り返る。

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門をくぐればターメの集落は近い。

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1時頃、ターメ(3,820m)へ到着。農業はできそうもない環境だ。
標高も風景も、以前に行ったことのあるランタン谷のキャンジン・ゴンパに良く似ている。
右手斜面中腹にあるのがゴンパ(僧院)

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Thawa Lodgeの女将さんは4時間ぐらいと言っていたが、5時間かかってしまった。

入り口近くの立派そうな宿、ターメ・ビュー・ロッジに決めた。

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宿から出てきた人がどこかで見覚えがあると思っていたら、向こうの方が私に気づいた。なんとナムチェ・バザールで最初に泊まったシャングリラ・ゲストハウスの若主人だった。宿のゲストの案内で来たとのこと。

外観だけでなく、部屋も立派。壁がペラペラの合板ではなく、ちゃんとした一枚板だ。こんな山奥では贅沢。料金はナムチェと同じく200R

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食堂もきれい。

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メニューはこんな感じ

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荷物を片付けた後は集落東側にあるサイド・モレーン(氷河堆積物)に登り、さらにゴンパ(僧院)を目指す。

↓サイド・モレーンに建っているストゥーパ

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立派なゴンパで、他のトレッキング客に混ざって内部も見ることができた。

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ゴンパからターメ・コーラ上流を望む。

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ゴンパからターメの集落を望む。

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珍しいことに、その晩は単独のトレッカーが私を含めて3人泊まっていて、夕食時に一緒になった。

夕食後はナショナル・ジオグラフィック製作のエベレスト登山史を記録したドキュメンタリーDVDを鑑賞して、お勉強までできた。

2012年12月14日 (金)

トレッキング7日目(11月13日)、ナムチェへ撤退

起床して体温を測ると36.8℃、頭痛もある。
次のドーレへと進むと高度も500m上がってしまうので、ここで停滞するか、戻るかの選択しかない。
ポルツェ・テンガは谷底で、展望もきかないし、停滞休養はしたくない場所。
すっかり弱気にもなっていたので、ナムチェへ戻ることにした。

昨日下ってきたモン・ラへの道は急坂なので、考えるだけでもしんどい。宿にそこまでのポーターを頼む。
言い値の1,500R≒1,500円でOKした。ちょっと高いけど仕方ない。
宿の取り分が500R、ポーターの取り分が1,000Rのようだ。
(渡した1,500Rのうち、ポーターが1,000R掴んでいったのでわかった。)

臨時のポーターをしてくれた人は宿のコックで、ルクラから更に3日ほど歩いた村からここへ働きに来ているとのことだった。

モン・ラへの坂の途中でヒマラヤ・タールの群れに遭遇。
ウシ科なので、カモシカの仲間だ。
Nikon P7000は望遠Max200mm相当なので結構寄れる。
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はるか向こうに有名なタンボチェの僧院が見える。谷底から続くジグザグの登りは見るからにきつそうだ。
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荷物を持たないと楽だ。1時間ほどでモン・ラ着、標高差300m程の登りだった。

モン・ラ(3,970m)からの眺め、エベレストは隠れてしまって見えない
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昨日登ってきて、これから下るナムチェ、クムジュン方面への道
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モン・ラさえクリアーできれば、後はゆるゆるとした下りだけなので、一人で荷物を担いでも楽勝だ。

↓下りの途中で、ヤク使いの少年が画面にタッチして、スマートフォンで遊んでいた。
ここら辺の電波インフラはすっかり整備されているので、スマートフォンの普及は日本とほぼ同時進行だ。
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↓途中で出会った陽気なポーター達
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↓エベレストB.C.方面への分岐点となるキャンジュマで一服
 後ろの山はタムセルク6,618m
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ナムチェ着。メインストリート角の一等地にあるThawa Lodgeに荷を降ろす。
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ベーカリー・カフェも併設していて、なかなか繁盛している。

部屋の壁はクリーム色に塗装してあるし、床もちゃんとしている。設備が良い宿だ。
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トイレは泊まった宿の中では一番清潔だった。
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ベーカリー・カフェで充分儲かっているからなのか、2泊したいずれも客は私一人だけだった。
静かに泊まりたい人には良い宿だ。

確かにカフェの方が経営効率は良い。小さなテーブルでも客が2人くれば平均消費単価500Rとして1,000Rの売り上げ。
宿の方はでかい部屋を用意しても室料200R※だし、食事の売り上げも客2人延べ4食として2,000Rぐらいだろう。
なので、カフェの回転を上げた方がはるかに儲かる。
この宿は立地がカフェに適しているので、経営方針としては当然カフェ重視路線となる。
宿泊設備は昔の名残りのようなものだ。

夕方に体温を測ってみると依然として36.8℃だが、咳は軽くなり、鼻水も少なくなった。

その後、帰りのルクラ→カトマンズのエアーチケットを手配しようと思って、メインストリートにあるタラ・エアーのオフィスへ出向いたのだが、「もうチケットは扱っていないので、ルクラで買え」とのこと。
カトマンズへ戻る便に合わせてナムチェ周辺で時間調整しようと思っていたのだが、当てが外れた。いったい何のためのオフィスなんだろう?儲かるチャーターヘリ専用なのか・・・?
ルクラまで下ってチケットを買うメリットもあるにはある。ルクラへ行けば、タラ・エアー以外の他社のオフィスもあるので、タラ・エアーが一杯でも他社が空いていれば、それを買える。
だが、どこもチケットが取れないと、何もすることがないルクラで席が出るまで待ち続けなきゃいけない。
カトマンズ⇔ルクラ間の国内線を個人で手配して、実際に搭乗できるまでにするのはなかなかに厄介だ。

たとえチケットが買えても確実に搭乗できるわけでもない。フライト当日に搭乗券を手に入れて、待合室に入るまではわからないらしい。

※200Rはバストイレ共同の部屋のナムチェでの統一料金と思われる。部屋代は少額で食事代で利益を出す独特の料金体系は、ネパール山間部の昔からの習慣から来ているのではないかと思う。

2012年12月13日 (木)

トレッキング6日目(11月12日)、ポルツェ・テンガへ

クムジュンは標高が高い分ナムチェより寒い、朝起きたら窓が凍りついていた。
ナムチェでは寝袋のジッパーをフルオープンにして掛け布団として使ったが、ここでは閉めて使わないとだめだ。

朝は快晴で部屋の窓からタムセルク(6,618m)が正面によく見える。奥はカンテガ(6,783m)
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宿の後ろにはクーンビラ(5,765m)がそびえ立つ。
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体温の方は前日より少し下がったのだが、まだ微熱状態が続いている。
悪くはなってないので、もう少し前進することにした。

8時頃に出発し、村はずれにさしかかるとネパールの国鳥となっているダフェに遭遇。
なんとか写真に撮れた。雉の仲間で、羽が美しい。
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昨日高度を稼いでおいたので、クムジュンの村外れから、しばらくは水平道が続く。
↓水平道から振り返ってクムジュン村方面を望む
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そのうちに勾配もきつくなり、モン・ラという峠を目指してひたすら登る。
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11時頃にモン・ラ(3,970m)着、峠だけあって、展望は良好。
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谷の対岸には空中に浮かんでいるようにポルツェ村が見える。インカの遺跡、マチュピチュのようだ。
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早めの昼食で、ゆでジャガイモを頼んだのだが、量が多くて半分ぐらいしか食べられなかった。
モン・ラを過ぎると谷底に位置するポルツェ・テンガ(3,680m)へひたすらの下りだ。
一番手前の新しそうな宿ポルツェ・テンガ・ゲストハウスに荷を下ろす。
トイレは手動水洗、電気は来てないのでソーラー発電、照明はすべてLEDだ。
部屋も新しくてきれいだった。

体温を測ってみると37.4℃に上昇していた。おまけに夕方から雪がちらつき
周囲は真っ白に。「こりゃだめだわ」と、すっかり気弱になってくる。
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客は半分ぐらいの入りで、夕食時は結構にぎやかだった。
夕食には水分の多い流動食であるシェルパ・シチューを食べる。余りものをぶち込んだ雑炊のようなものだ。
その後はすることもなく就寝。

2012年12月12日 (水)

トレッキング5日目(11月11日)、クムジュンへ前進

まだ微熱は続いているのだが、食欲はあるので、無理をしない範囲で先へ進むことにした。

とりあえずナムチェから半日行程のクムジュンへと向かう。クムジュンの隣村のクンデには病院もあるし、悪化したとしてもそこで診てもらうことができる。

一昨日の日帰りハイキングで通った峠超えのルートでなく、少し遠回りになるが水平道をじわじわと登っていくルートをとることにした。

ナムチェの外れから北東方向に水平道がずっと伸びている。

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このコースはエベレストB.C.へのメインルートなので、トレッカーの数も多くにぎやかだ。しばらく歩いて尾根を回り込むとエベレスト方面への展望も開けてくる。

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登りがゆるやかだし、展望が良いので歩いていても気持ちよい。

高山植物もわずかながら道端に咲いている。

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途中の茶店で一服、可愛いらしい親子が店番していて母親は英語がうまい。

展望が良いのでここら辺で宿泊しても良かったのだが、時間もたっぷりあるので、もう少し高度を稼いでおくことにした。

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水平道が終わり、エベレストB.C.への道と分岐して、西に向かってクムジュンへの坂道が始まる。坂の標高差は130mでたいしたものではないのだが、とたんに苦しくなり、何度か休みをとりながら登る。

↓登ってきたクムジュンへの坂道を振り返る。左奥のピークはアマダブラム6,828m

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12:30頃クムジュン村(3,780m)へ到着、ナムチェからは3時間半だった。

入り口近くに宿をとる。この宿、看板がない。

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昼食は一昨日と同じく、集落中央にあるベーカリーでサンドイッチとビール。計650R

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昼食後は村の奥を探検。

古そうな民家

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泊まった宿に客は私一人だけ、母親と息子、中学生ぐらいの娘の3人でやっている。
父親は仕事で留守なんだと思う。
母親はどんとかまえて、子供たちをあれこれと使っていた。

食堂は家族の居間と兼用なので、なんだか普通の民家に上がりこんだような感じがする。
ダルバーツ(豆スープ)とタルカリー(野菜カレー)の夕食を頂く。

トイレは溜めてある水を使って自分で流す手動水洗だった。

2012年12月11日 (火)

トレッキング4日目(11月10日)、ナムチェで停滞

朝起きてみると下がりはしたが体温36.8℃。と微熱気味。
1日休養することにした。
水分大目の朝食をとり、午前中はもう一眠り。

午後はそろそろと起きだしてナムチェを探索。
まずは腹ごしらえで、ベーカリーショップでピザとビール。
3,500mの山中とはとても思えないおいしいピザだった。

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昼食後にうろうろしていると、市が立っているを見つけた。
ナムチェ・バザールの名前の由来となった週末の定期市だ。
すっかり忘れていたが、その日は土曜日だったのだ。

各種食料や日用品に混ざって、スパゲッティやマカロニ、ツナ缶などのトレッカー向けの食材も並んでいる。
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ナムチェには結構な店舗があり、ひと通りのものは揃えることができる。
正規品を扱う登山用品店も3軒あり、クレジットカードさえあればエキスペディション用の登攀道具でも調達可能だ。値段も日本とさほど変わらない。
飲食店の方もアイリッシュ・パブさえあって、夜になるとにぎやかしい音楽が聞こえてくる。

そうなのだけど、私のような単独のトレッカーにとって必要な旅行エージェントがひとつもない。不思議だ。ホテルや飛行機、ガイドやポーター手配の需要はありそうなものなのだが。

ちなみに、両替屋もATMもあります。両替は若干レートが悪くて、1万円の両替で下界より数百円程度違ってくる。ATMでのキャッシングは金利以外に1回500R≒500円の手数料がかかるようになっている。

行き交う人々を観察。
ローカルの人達が着ているものは圧倒的にノース・フェイスのジャケット類。
ただし、新興勢力では
Mammut(マムート)が伸びてきているようだ。

トレッカー達の装備で多いのは
Mammut(マムート)、berghaus(バーグハウス)、ザックではOSPREY(オスプレイ)だ。ザックだけはアメリカ製品が強いね。

宿に戻ると、大きなグループが幾組も入っていてその晩は満員となった。

そのうちの年配者達の日本人グループが私と同じくゴーキョ・ピークを目指し、さらにレンジョラ・パスを越えて左回りにナムチェに戻ってくる計画とのことだった。

魅力的なコースらしいが、5,360mの峠越えが大変だ。途中に宿も茶店もないので、一気に走破しなくてはいけないし、万一の時は退避する場所がない。

2012年12月10日 (月)

トレッキング3日目(11月9日)、クムジュンへのハイキング

朝は雲もなく、宿正面左にヌプラ(5,885m)、右にクワンデ(6,187m)の朝焼けがばっちり。
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計画では本日中にクムジュン村(3,780m)へ移動する予定だったのだが、呼吸が苦しいのと、頭痛も出ているため、日帰りハイキングに計画変更して、ナムチェ・バザールに戻ってくることにした。

ナムチェの外れからクムジュンへの急坂が始まる。
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昨日のナムチェ到着直後よりは呼吸もずっと楽になったが、それでもキツイ。

気温は日陰で10℃、少し風が出てきたので防風のジャケットを着用する。
手の方は100円ショップで購入したフィンガーレス・グローブで充分暖かいし、写真を撮るのに便利。

8時過ぎにナムチェを出発し、ゆっくり2時間かけて有名なエベレスト・ビュー・ホテル(3,880m)着。
ナムチェからこのホテルまで出かけて、テラスでお茶することが高度順応の定番コースとなっているらしい。

世界各国からのトレッカーでテラスは大賑わい。
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展望はもちろんすばらしい。
左はタボチェ(6,495m)、中央奥左からエベレスト(8,848m)、ローツェ(8,516m)、右はアマダブラム(6,812m)
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展望も設備も最高のホテルなのだが、あきらかな悪意でお茶代のつり銭をごまかされた。
今回の旅で唯一ここだけだった。

展望とお茶を楽しんだ後は、クムジュン村(3,780m)へ下る。
静かで落ち着いた村だ。
ベーカリー・ショップを見つけたので、シナモンロールとコーヒーで軽い昼食。
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峠を越えてナムチェへ下りにかかると、ガスがかかり始め、体感気温も急に下がり始めた。
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午後2時過ぎに宿に戻る。
食堂にはカラ・パタール(5,545m)を目指している日本人カップルが休息していて、そのガイドさんが私の顔を見て「ちょっと顔が赤く見えるよ。」と注意してくれた。

日焼けのせいだと思ったが、部屋に戻って念のため体温測定したところ37.2℃だった。 

頭痛と咳、鼻水は続いていたのだが熱があるとは思わなかった。
さすが、ガイドさんはプロだね。しかも、ゲストでない私の体調まで気にかけてくれる。

明日朝の状態によってはこの宿で休養停滞することにして、薬局でアスピリン(350R≒350円)を購入して服用。
夕食後には体温が37.8℃と更に上昇。こりゃだめだ。

早々と就寝。

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