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2017年8月19日 (土)

ネパール、旅の記憶

 1988年に初めて旅したネパールの資料が出てきた。この時のネパール体験は強烈な記憶として今も残っている。

 日本を出発したのが年末の25日、当時はそうした時期にエアー・チケットを確保するのが大変だった。夏頃に旅行社に申し込んで、ようやく取れたのが出発の2週間程前、それもかなりの変則ルートでしか取れなかった。往路はKEを利用して伊丹からソウル乗継で香港に飛び、2泊してロイヤルネパール航空でカトマンズ入り。復路はロイヤルネパール航空で香港に戻り、1泊して今度はノースウェスト航空(現在はデルタに吸収)を使って成田乗継で伊丹に帰着するというもの。今だったらよほどの飛行機マニアしかそんなルートはとらないだろう。

 深夜にカトマンズに到着して宿に入り、あまり眠れないまま夜明け早々にカトマンズ旧市街へと飛び出したのだが、そこで忘れられない風景に出会う。探しあてた早朝のアッサン・トーレは濃い霧に包まれて人影もまばら、霧の中からネワール様式の古い建物の輪郭がぼやっと浮かびあがり、その合間を伝統衣装をまとった人々が時折通り過ぎる。人の足音ぐらいしか聞こえず、ほとんど色彩もないモノトーンの風景にまるで何百年も前の昔にタイムスリップしたかのような感覚にとらわれた。

 夜は夜で停電で闇に包まれた市街地をあてもなく歩き廻ると、街頭のあちこちでろうそくの炎がゆらめき、そのほのかな灯りのもとで血のしたたる塊の生肉が売り買いされているのに出くわす。“濃霧”と“停電”という偶然が異次元のような世界へと導いてくれる装置となった。ネパールが開国に転じた1951年から30数年が経っていたのだが、中世のような雰囲気がまだ残っていた。

 買い物客で賑わいだした頃のアッサン・トーレNeplktm02_169

 現在からは想像できないが、スワヤンブナート付近には野原が広がっていた。奥の山々はランタン山群Dps02_029

 ポカラでも、市街地から少し離れると道なき道を行かなくてはならなかった。Neplktm04_030

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