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2020年6月 2日 (火)

医療従事者への敬意も大事だが・・・

 航空自衛隊のプルーインパルスがコロナ禍対応にあたっている医療従事者への敬意を示すデモンストレーション飛行を行ったというニュースが流れた。(燃料代はいくらだったのだろうか?)

 医療従事者の間にはそうした「拍手や敬意」よりも実質的な待遇をどうにかしてほしいとの声があるとのことだ。厚生労働省の資料によると勤務医の10%ぐらいが週80h以上働いている。週5日の勤務として一日あたりの労働時間は16h、労働災害の過労死認定ラインが超過労働一月あたり80hとされているのでそのラインの倍ぐらいだ。それに加えて年間就業日数300日以上の人が35%もいる。コロナ禍以前の問題として人間らしい生活ができていない。(資料のリンクはこちら

 日本社会や組織は所属する個々人の努力に支えられているのだが、組織の方はと言えばそれに甘えてしまっていて自らの責任はどこかに置き忘れたままだ。労働基準法にしたところで、それ自体は守られるべき最低の基準のはずなのだが、経営者や管理者が違法状態を放置したとしても強制力のない是正勧告が出されるだけで済んでしまう。自死を選んでしまう者さえいるというのに。

 話は変わってしまうが、そうしたことに関連して最近見た映画で感心したことがある。視聴した映画はピーター・ジャクソン監督のドキュメンタリー映画でタイトルは“彼らは生きていた”(原題:They Shall Not Grow Old)。第1次世界大戦をイギリス側から記録したフィルムと生存者の証言で構成されている。

 第1次世界大戦と言えば凄惨な塹壕戦が行われたことが知られている。映画ではそうした塹壕戦の実態を生き残った兵士の証言と映像で描きだしている。驚いたのが、そうした悲惨な戦闘の最中でも前線の兵士は何日間か戦うと、交代部隊が来て後方に下がり休暇を楽しむことができたということ。旧日本陸軍は休暇どころか補給さえ無視した作戦を敢行し、戦う前に飢えや疾病で兵士を死亡させた※注。それでも作戦立案者は平然としていて、責任を問われることがなかったのだからまるで違う。

 日本の社会や組織には結果に責任を問われるということがいまだに希薄だ。どこかに旧陸軍型思考が残されている。昔から今に至るまで呪文のように唱えられている「意識改革」なるものも精神論の典型だ。

 そうした精神論を背景にして個人に自己犠牲を強い、それが日常の中に織り込まれている社会は危ういし、なにより不幸だ。今回のコロナ禍でもそうした日本の後進性があちこちで露呈してしまっている。

 感染症との戦いには終わりがないのだから、社会の有り様をもっと考えていかないと。

※注:アジア・太平洋戦争での日本軍戦没者230万人のうち61%の140万人が餓死とその関連疾病によるものと推計する研究がある。(吉田裕 著 「日本軍兵士」中公新書) 関連リンクはこちら

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