安全保障関連法案と安部首相のやじ
水戸黄門クラスのご老体政治家4人衆(亀井、山崎、武村、藤井)が反対声明を出すなど、安全保障関連法案の先行きに暗雲が漂いだした。
首相は国際社会で日本が責任ある地位を占める必要があることを理由のひとつにあげているようだが、チェイニー、ブッシュJrがうそで固めて始めたイラク侵攻に、もし日本が間接的にでも参戦していたとしたら、その結果にどう責任が取れると言うのだろうか。巻き添えで多数の民間人の犠牲者を出した上に、イラク国内のみならず中東世界は不安定化するばかりだ。
戦争のリスクは結局は名も無き市井の人々がとらされることになる。ブッシュJrは今頃はゴルフ三昧だろう。
審議中の国会でやじを飛ばす首相はそうしたことへの認識と想像力が決定的に欠けているように思う。ちょっとひどすぎるのだが陳謝で収まっていて大きな問題にはなっていないようだ。
大きな問題にならないことがそもそも大問題だ。ちょうど毎日新聞に「なるほどそうかと」感じ入ったコラムが掲載されたので、全文を紹介(コピペ)する。
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昭和史のかたち:安倍首相のやじ=保阪正康
毎日新聞 2015年06月13日 東京朝刊
◇国家総動員法審議と共通
衆院平和安全法制特別委員会(浜田靖一委員長)での審議中に、安倍晋三首相は野党議員に対して「早く質問しろよ」とやじを飛ばした(5月28 日)。審議はストップすることになったが、6月1日の審議冒頭に、浜田委員長は「出席大臣は法案を提出し審議をお願いしている立場にかんがみ、不必要な発 言は厳に慎むようお願いする」(1日付本紙夕刊)と注意したという。
安倍首相も「言葉が少し強かったとすればおわび申し上げたい」と述べている。
さてこの一件にふれたとき、私はすぐに昭和13(1938)年3月の衆院国家総動員法案委員会でのあるやじを想起した。国家総動員とは戦時(事変 を含む)に際して、「国ノ全力ヲ最モ有効ニ発揮セシムル様人的及物的資源ヲ統制運用スルヲ謂(い)フ」と定義されている。つまり折からの日中戦争での戦時 体制のために、国民や企業の諸権利から物資の生産、配給、消費さらには大衆運動の制限、出版物への掲載の制限・禁止など、とにかくあらゆる生活上の制限を 認めるよう、あらかじめ政府に命令を発する権利を与えておこうというのである。
この法案は第1次近衛文麿内閣のもとで、同年2月19日に衆議院に提出された。軍部が何が何でもこの法案を通そうと画策していた。近衛首相自身は 内心では乗り気ではなかったといわれるが(「西園寺公と政局」)、議会にもここまで軍部の横暴を許していいのかとの声はあった。
政友会の牧野良三と民政党の斎藤隆夫は特に激しくこの法案の危険性を説いた。牧野は新聞紙上で、国民に無条件に生命や財産、身体を提供せよというのか、と説く一方、国民の権利・義務を行政権に移譲せよということではないかとも攻撃した。
3月の国家総動員法案委員会で、陸軍省軍務局の中佐、佐藤賢了がこの法案についての陸軍側の理解を説明した。本来なら陸軍省は慎重な審議で国民の 疑問を解いてほしいと頼むのが筋だろうが、佐藤は軍部の立場から政策論を長々と話しだした。明らかにその範囲を逸脱している。委員の宮脇長吉は、「委員 長、この男にどこまで答弁させるのですか」と抗議する。すると佐藤は、「黙れ!」とどなった。このころの軍部の傍若無人さを示す出来事である。
委員長の注意で佐藤は発言を取り消したものの、委員会は紛糾している。
この「黙れ!」と「早く質問しろよ」は、実は構図の上ではよく似ている。法案を通してほしい行政府の側が、命令口調で立法府を侮辱していること、 さらに国家総動員法は内閣が自在に戦時体制を作り、国民を兵力に組み込むことができたように、今回の安保法案も政府の裁量に一任する点が多いこと、などで ある。斎藤は国民の生存権に制限を加えようとすると批判したが、安保法案にその危険性が内在していることも類似点といえるかもしれない。
特に今回の安保法案の審議で少しずつ明らかになっているのは、集団的自衛権を行使する折の判断基準があいまいで、政府の答弁も閣僚によって異なる ケースがあることだ。アメリカ軍を支援する「重要影響事態」についても、客観的、合理的に判断するといった不透明な論が立法府に示されるのは、それ自体裁 量のあやふやさを示していることになると思われるのだ。
国家総動員法は結果的に国会も通過するが、この法案が太平洋戦争そのものの悲惨さを証明することになった。行政府の側も立法府からその権限を奪い 取ろうとしたわけだが、立法府もまた近衛新体制を目ざしてこの法案を機に政党の解体を目ざす動きが出てくる。昭和史が教えているのは、こうした法案が提出 されたときには立法府自体も自らの存立基盤を考えることなく、行政府の下請け機関でかまわないとの計算が先に立っていたということだ。
「国会が死んだ」という状態になってほしくないが、そのようなプロセスが立法府の内部に宿っていたことを私たちは知らなければならないだろう。
「黙れ!」と「早く質問しろよ」は、ささいな行政府側からのやじに見えるが、その本質は決して侮れない。その背景には、暗い過去が垣間見えるとい う想像力を持つべきではないか、と私には思えるのである。いみじくも特別委での首相のやじに、委員長が「法案を提出し審議をお願いしている立場」と注意を うながしたのは、まさにその本質を突いている。それにしても「黙れ!」も「早く質問しろよ」もあまりにも品がない言であることに気づくと、こうした法案で 命を失う人々が出たこと、あるいは出るかもしれないことに慄然(りつぜん)としてくるのである。
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■人物略歴
◇ほさか・まさやす
ノンフィクション作家。次回は7月11日に掲載します。
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