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2019年5月26日 (日)

福井市民憲章

 地区のイベントが行われ、その冒頭で市民憲章が唱和された。いつも思うのだが、憲章の前文というのは悪文の典型だ。
 一応紹介しておくと、
「わたくしたちは 不死鳥福井の市民であることに誇りと責任を感じ
 郷土の繁栄と幸福をきずくため 力をあわせ 不屈の気概をもって
 このねがいをつらぬきましょう」
 というもの。

 福井市民全体を指すと思われる「わたくしたち」が「誇りと責任を感じ」て、他者である誰かに「ねがいをつらぬきましょう」と呼び掛けている。というふうに解釈できると思うのだが、主語が福井市民全体とすれば、呼び掛けの対象となる他者はもう残されていない。誰もいない他者に呼び掛けてどうするの。それとも「わたくしたち」とは福井市民のうち限られた者なのか?
 「わたくしたち」を市民全体を指すものとして、前文の基調を「誓いの言葉」とすればすっきりすると思うのだが。それにしても句読点もないし、センテンスが長すぎるけど。
 で、最小限に添削してみた。

「わたくしたちは 不死鳥福井の市民であることに誇りと責任を感じ、
 郷土の繁栄と幸福をきずくため、力をあわせ、不屈の気概をもって
 このねがいをつらぬきます。」

 調べてみると憲章は1964年に制定されている。理想や理念を憲章として掲げることはかまわないと思うが、憲章の本文は主権者である市民を子供扱いして、教示を垂れる類のものだ。恥ずかしいのでいいかげんにやめたらどうかと思うのだが、そうした声は聞いたことがない。皆さん大真面目に唱和している。

 憲章全文はこちら

 憲章誕生の経緯はこちら

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