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2019年5月16日 (木)

雨宮処凛が語る「平成の貧困」

 この人は学者でも流行作家でもないのだが、ずっと貧困問題に向き合ってきた人だ。私にとってはなんだか身近に感じられて、気になる人だった。

 平成が終わり元号が令和に改まったこと受けて、平成を振り返る新聞記事が目につく。そうした中で、ちょうどこのインタビュー記事が目にとまった。貧困の現場に身を置いてきた当事者として鋭く問題を指摘している。世代によって世の中がまったく違って見えることに気が付く。全文をご紹介。

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令和のはじめに 浸食する「貧困」 インタビュー 作家・雨宮処凛

毎日新聞2019515日 東京朝刊

平成バブルの崩壊後、「就職氷河期世代」と呼ばれる若者の貧困問題が注目された。昭和の高度成長が克服したはずの貧困は、雇用状況の変化に伴い、再び社会の表層に。構造は令和に入っても変わらない。同世代を代表する作家の雨宮処凛さんに貧困や「生きづらさ」の背景、解決への希望を聞いた。【聞き手・鈴木英生】

不安のシグナルを放置し続けた平成

--令和という新元号を知った印象は。

 とっさに、「え! (雨宮さんが10代の頃から好きな)ビジュアル系(ロック)バンドのメンバーの名前にありそう!」と思った(笑い)。たとえば、青い長髪をツンツンに立てたニヒルなベーシスト「REIWA」といったイメージだ。私だけではない。ビジュアル系バンドのファンや関係者の中には、令和の響きに、なぜか親近感を覚えて盛り上がっている人が多い。(バンドの)ゴールデンボンバーは、新元号の発表後1時間で新曲「令和」をインターネットに流している。

 意味のないお祭り騒ぎと思われるかもしれないが、平成の貧困を生き延びた私たちの空虚さの表れなのかもしれない。私が中学2年生の時に平成が始まり、今は44歳。改めて振り返ると、私たち就職氷河期世代にとって何一つとしていいことがない時代だった。第2次ベビーブーム世代として厳しい受験戦争にもまれ、バブル景気に浮かれる大人たちを見て育ち、「就職すれば楽になれる」と思っていたのだが……。

--バブル崩壊後には長期不況がやってきました。1993~2004年に大学などの卒業期を迎えた世代約1700万人中約400万人が今も非正規社員や無職者です。

 彼ら元「就職難民」は、08年のリーマン・ショックで追い打ちをかけられて、大勢が「ネットカフェ難民」になってしまった。私たちの世代は「ロスジェネ」(ロストジェネレーション=失われた世代)と名付けられて注目され、反貧困運動も盛り上がったが、これもブームに終わった感が……。子どもを産み育てる年齢になれば少子化対策で多少は救われると信じていたがそうもならず、多くの人が結婚適齢期を過ぎて出産のタイミングも逃した。私の周囲では、「自分たちは(子孫を残せない)絶滅危惧種」と自嘲している人もいる。第3次ベビーブームは、起きなかったのではなく、起きなくさせられたのだ。

 私の同世代の人であれば、友人や知人に必ずといっていいほど、「『いい大学』へ進んだのに就職で失敗し、ずっと同じアパートに住んでいてフリーターのまま」といった人がいる。戦中戦後の若者は、周囲に必ず戦場を経験した人がいたはずで、これと似ているだろう。親と同居する独身の35~44歳は今、全国で約300万人。結婚して子育てをしながら親の面倒をみているのではなく、低収入や無職で結婚したり親と別居したりできない人が少なからずいるわけだ。正規雇用の人も「一歩間違えれば自分も無職だったのだから」と、どんなにブラックな会社でもしがみつかされてきた。程度の差こそあれ、誰もが貧困への恐怖にあおられ続けている。

--貧困を、個人や世代の資質の問題だと片付ける人も少なくありません。

 私たちは、平成の初期から「若者バッシング」のネタにされてきた。心の闇、モラトリアム、自分探し、ケータイを持ったサル、3年で辞める若者……。今思えば、こうして批判された事象の多くが、行き場のない不安のシグナルだったのだけれども。それに対して政府は平成の半ばに、「若者の人間力を高めるための国民運動」なるものをぶち上げた。とんちんかんの極みとしか言いようがないが、全く悪意なしに「若者は根性をたたき直せば定職に就く」と信じていた人は多いのではないだろうか。

 リーマン・ショックの前後から若年貧困層の増加が注目された結果、問題は根性ではなくて雇用や格差であり、グローバル化など社会・経済構造の変化が背景だと指摘されるようになって、「若者たたき」はようやく下火になった印象だ。ところが、それと併せて、若者による事件や年長者に理解できない行動が、社会全体で考えるべき問題として論じられる機会が減ってしまったように思う。かつての地下鉄サリン事件(95年)や神戸小学生連続殺傷事件(97年)のときは、話を「不可解」だけで終わらせずに、社会情勢の変化などと絡めて解釈するような力学も働いていた。だが、今では、容疑者個人がマジョリティー(多数派)とは無関係なモンスターとしてたたかれて、すぐ忘れられる。

社会に残る丁寧な優しさ積み上げて

--社会問題であれなんであれ、答えが出ないことや「難しい」ことを考えない風潮が広がっているのではないでしょうか。

 インターネット投稿のアクセス数のように、目先の成果だけが大切な時代になっている。短期的な「結果を出せ」というプレッシャーが強まり、じっくりとものを考えるような「何もしない時間」が奪われてきた気もしている。私は上京して丸26年だが、あの頃は、ただ散歩をしたり、ぼんやりと物思いにふけったりする余裕が今よりもあった。予備校生で先の見えなかった当時よりも、経済的に自立している今の方が余裕はあるはずなのだが……。今はなにかにつけ、「こんな無駄なことをしていたら誰かにしかられる」「こんなに時間を無駄にした」と思ってしまう。

 同じような強迫観念が社会に充満しているのではないだろうか。「充実」した生活をSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)にアップし続けて、全世界へプレゼンしないといけない。「朝活」と称して、出社前から英会話やヨガで自分を磨き、玄米菜食で健康に配慮……。そもそも、就活(就職)はもちろん、婚活(結婚)、妊活(妊娠)、終活(死去)と、人生のあらゆる節目で「活」動を強要されている。いつのまにかリングへ上げられて、気づけば「見せ場を作れ! 勝て! 短時間で! 効率的に!」と命じられているようなものだ。この強迫観念は、貧困に対する恐怖や失敗した人への極端な冷たさとも関連しているだろう。

--平成の間、社会的弱者にとって前向きな変化はなかったのでしょうか?

 企業では女性の管理職が以前よりは増えたし、近年は性的マイノリティー(少数派)などの存在が注目されるようになったり、多様性を尊重しようとする文化が芽生えたりしたとは思う。とはいえ、平成元年の流行語が「セクハラ」で去年の流行語は「#MeToo」だ。「何も変わっていない」は言い過ぎでも、牛歩並みの前進という感じだろう。

 しかも、性別や国籍などが以前より多少は問われなくなった代わりに、新卒一括採用の壁や正規労働者かどうかの区別はくっきり残っている。「非正規だからこそ、せめて安心して暮らせる住まいを得たい」と思ってもローンが組めなかったり、賃貸住宅の入居審査にも落ちたり。私自身、初めてクレジットカードを持てたのは3年前で、それまでは何回も審査に落ちている。「フリーランスで仕事をしているから」ということ以外に原因が考えられない。

--今の就職氷河期世代が高齢者(65歳以上)になると、生活保護受給世帯が急増すると指摘されています。

 私たちの世代が、社会の「不良債権」扱いされかねない。日本では納税者教育も主権者教育も不十分なため、社会的な振る舞い方としては「消費者」であるか、「クレーマー」になるかしか知らない人が多い。おかげで、生活保護受給という当然の権利を行使した人が、「怠け者」「落後者」扱いされかねない。当事者もそう思い込みかねない。生活保護受給者の自殺率は世間一般よりも圧倒的に高いのだ。特に怖いのは、少子高齢化や財政難を背景に、一部の事件の被告や識者の発言などから、命の選別を容認する風潮が広がり始めたことだ。「障害者は死んでいい」「終末期医療はやめていい」「生産性がない人が死ぬのは仕方がない」--などと。高齢などで働けなくなった非正規労働者も、同様に見なされていくのだとしたら……。

 平成最後の数年で、いちばん言ってはいけない「本音」が「建前」を突き破ってしまったのではないだろうか。既に手遅れかもしれないが、賃金体系や社会保障、社会風潮からライフスタイルまで、非正規も望めば結婚や子育てが安心してでき、年を取れるように、変わらねばならない。私たちだけではなく、より若い世代にとっても大切なことだと思う。今の雇用情勢は以前と比べて確かに売り手市場ではあるが、不安定な雇用形態の求人が多く、若年層ほど非正規率は高い。年長者は、若い世代が「堅実すぎる」「消費をしたがらない」などと嘆くが、彼らがそうなった一因は、社会が彼らに対して、私たち世代の苦境を見せつけ続けたせいなのだと気づくべきなのだ。

--希望を持てる動きはないのでしょうか。

 この数年で、地域の子どもたちに無料や低料金で食事を出す「子ども食堂」が全国で1000以上もできる大ブームになったことには驚いた。近所の女性同士などが身の丈に合った範囲で助け合い、子どもの貧困や孤立、親の家事負担を解決する糸口を見いだしている。最近知った事例では、子どものプライドを傷つけないように、学校の長期休み前に「調理実習」と称した会をやり、子どもたちに「休み中は毎日ここで調理実習をしますから、来たい人は来てください」と呼びかけているという話に感動した。こうした、丁寧な優しさが、まだこの社会には残っているのだ。そこから、新しい時代を積み上げていくしかない。


 ■人物略歴

あまみや・かりん

 1975年生まれ。高校卒業後に上京し、予備校生、フリーター、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー「生き地獄天国」で作家デビュー。「生きづらさ」をテーマに格差・貧困問題などに取り組む。近著に「非正規・単身・アラフォー女性」。


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