問答無用の異論排除
週刊誌を買うことはもうないのだが、新聞広告だけは眺めている。
「サンデー毎日」の記事見出しで目に付いたのが「異端狩り」(保坂正康)。それで思い出すのがショーン・コネリー主演の「薔薇の名前」という映画。中世キリスト教世界の異端審判を描いているのだが、一方的だが裁判のようなものを開いて「異端と認定した理由はこうですよ。」と外に向かって説明する。菅政権の場合はまったく説明するつもりがないのだからこの「異端審判」とはちょっと違う。もっとたちが悪い。果たして近代の国民国家足りえているのか。
同じくサンデー毎日の記事見出しに“「説明しない」ファシズム(高村薫)”ともある。この方が今回の状況に当てはまるのではないか。もう思想統制と言える領域に踏み込んでいるのだから、今の香港の政治状況に日本は近づいている。香港と決定的に違うのは政権を取り換える手段が「あるのか、ないのか」だが、このまま放っておくとそれすらも危うくなる。
日本近現代史が専門で、この問題の当事者でもある加藤陽子氏が毎日新聞に連載している記事があるのでご紹介。
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“加藤陽子の近代史の扉”
学術会議「6人除外」 「人文・社会」統制へ触手
毎日新聞2020年10月17日 東京朝刊
発足直後の世論調査で6~7割超の支持を得た菅義偉内閣。行政改革やデジタル庁など重要案件が待つ今、なぜわざわざ、日本学術会議の新会員候補名簿から6人を除外して決裁するという批判を浴びるまねをしたのか。目的と手段の点で整合的ではなく見え、政治分析の玄人筋も首をひねる事態となった。
少し回り道をしよう。今の大学は、高校生向けの出張講義に熱心だ。先日、ある県立高の2年生に向けたオンライン講義で、歴史学は何をする学問かについて話をした。まず、英国の歴史哲学者コリングウッドの定義では、こう説明される。「歴史の闇に埋没した『作者の問い』を発掘すること」だと。換言すれば、歴史上一定の時代に現れたり創られたりした制度・組織・論理が、なぜその時代に現れるのかを考える態度となる。制度や組織を創り出した「作者」の思索の跡をたどるのが歴史学の役割ということになろう。
こう述べた後、一つの問いを考えてもらった。1889年6月、枢密院議長・伊藤博文は、歴代天皇の陵墓で場所が未確定のもの、例えば安徳天皇陵がどの墓かを治定しようとした。伊藤は、何を考えてそのようなことをしたか。答えは意外な方向からくる。伊藤は、予想される不平等条約の改正にあたって、外国の信頼を得るため、皇統の確からしさが必要と考えていた。陵墓確定という「作者」の問いは、意外にも条約改正と結びついていたのだ。
歴史家の仕事は「作者」の問いの発掘にあり。そこで、なぜ日本学術会議の名簿から6人が除外されたのか、「作者」たる首相官邸の側の思索の跡をたどってみたい。もちろん、私が名簿から除外されたうちの一人で、当事者という点はご留意いただきたい。
菅内閣は、行革やデジタル庁創設を掲げ、先例打破の改革者イメージをまとって発足した。最重要課題の一つが、1995年の科学技術基本法(旧法)を今夏25年ぶりに抜本改正した「科学技術・イノベーション基本法」(来年4月施行)の着々たる執行であるのは明らかだ。ただ、この間の人々の関心は新型コロナウイルス一色で、本法案の国会審議に注目していた人はまれだろう。
実は、今回の改正の重要な目玉の一つが、除外された学者の専門領域に直接関係していた。日本学術会議は、第1部(人文・社会科学)、第2部(生命科学)、第3部(理学・工学)からなる。名簿から除外された6人全員が第1部の人文・社会科学を専門とする。安倍晋三政権下で成立した新法は、旧法が科学技術振興の対象から外していた人文・社会科学を対象に含めたのだ。
改正は、日本学術会議のかねての勧告・提言の具体化で、その方向性自体は評価できる。本年7月閣議決定の「統合イノベーション戦略2020」も、「人間や社会への深い洞察に基づく科学技術・イノベーションの総合的な振興」が不可欠の時代になった、との認識で書き始められていた。
今回の人文・社会系研究者6人の任命除外をめぐっては、「世の役に立たない学問分野から先に、見事に切られた」との冷笑もSNS(ネット交流サービス)上に散見された。だが、実際に起きていたのは全く逆の事態なのだ。人文・社会科学が科学技術振興の対象に入ったことを受け、政府側がこの領域に改めて強い関心を抱く動機づけを得たことが、事の核心にあろう。
参院で矢田稚子議員も指摘していたが、新法下で「科学技術・イノベーション推進事務局」が内閣府内に司令塔として新設されることにより、自然科学のみならず人文・社会科学も、「資金を得る引き換えに政府の政策的な介入」を受ける事態が憂慮されるのだ。
鈴木淳東京大教授によれば、科学技術政策とは、広範な国家的課題の解決を目標とし、直接的にそれを達成したり、将来的に問題を解決したりする基礎科学の振興を図る政策である。ならば、25年ぶりの抜本改正は、解決すべき重要課題を国家が新たに設定し、走り始めたことを意味しよう。
「作者」の問いに戻る。現状は、日本の科学力の低下、データ囲い込み競争の激化、気候変動を受けて、「人文・社会科学の知も融合した総合知」を掲げざるをえない緊急事態である。新法の背景には、国民の知力と国家の政治力を結集すべきだとの危機感がある。顧みれば、科学技術という言葉が初めて公的な場に登場するのは1940年8月、総力戦時の学会大再編の時だった。この流れの結末を、私たちはよく知っている。
このたび国は、科学技術政策を刷新したが、最も大切なのは、基礎研究の一層の推進であり、学問の自律的成長以外にない。国民からの負託のない官僚による統制と支配は、国民の幸福を増進しない。2度目の敗戦はご免こうむる。(第3土曜日掲載)
■人物略歴
加藤陽子(かとう・ようこ)氏
1960年生まれ。東京大教授(日本近代史)。著書「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」「戦争まで」など。
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