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2015年10月

2015年10月28日 (水)

デジタル腕時計の電池を交換してみた

 登山用に購入したCASIOの腕時計だが、先週の白山登山の際に電圧不足の警告が出た。購入してから3年経つので無理もない。

 SGW-300Hという型番のその時計は海外向けのモデルで、高度計測機能もあるし世界各地の現在時刻もすぐに表示できて、便利で気に入っている。

 時計の裏蓋をみると本体にネジ止めされているだけなので、専用工具がなくとも電池交換ができそうだ。ネットで情報収集してさっそくにやってみた。高いものではないので万一失敗してもあきらめられる。

 精密ドライバーで裏蓋の4本のネジを外す。

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 古い電池を取り外し新品に交換

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 その後AC端子をショートさせて時計をリセット。

 情報ではゴムパッキンを清掃してシリコンオイルを塗布せよとのことだが、カーケア用品のアーマオールで代用した。アーマオールの成分表にはシリコンも記載されている。

 元に組みなおして完了。費用はリチウム電池の288円だけ。所要時間は30分ほど。

 参考にした情報はこちら 

 

2015年10月27日 (火)

晩秋の白山

 今年初めての白山登山。この時期の白山は数十年ぶりだ。

 10月23日金曜日、普段どおりに朝食を摂り慌てずに自宅を出発。市ノ瀬から別当出合までの谷は紅葉が見頃だった。

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 砂防新道を行く。登山者も少なく静かだ。誰一人私を追い抜いていく者はいない。

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甚之助小屋で昼食タイムとなる。工事関係の人2名以外に登山者は私だけ。

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 南竜ヶ馬場へ向う水平道まで来るとガスが上がってきた。辺りは冬枯れの景色。

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 泊った避難小屋(手前の小さな建物)、奥にある南竜山荘は15日で営業を終了している。

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 近くの野営場に偵察に行くとテントが3張。元気が良いね。

 小屋の内部は少し傷んできているがテントに比べれば快適だ。その晩は静岡県からの人と同宿となった。夕食後に早々と就寝。

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 翌日は薄暗いうちに朝食を済ませ、そのまま下山にかかる。木道の表面は霜が降りて白くなっていた。

 朝日に照らされる弥陀ヶ原への尾根Dscn9224_011

 土曜日なので上りの登山者と沢山すれ違う、女性の単独行が意外に多い。

 2時間半程でつり橋が見えてきた。

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 翌々日に筋肉痛発生、週2回ペースでトレーニングは続けているのだが長い下りは未だにダメだ。

2015年10月20日 (火)

イタリアアルプス・ドロミテでのトレッキングを計画中

 ちょっと気が早いのだが、来年夏のトレッキングを計画中だ。

 まずは航空券。フィンエアーが安く出していたので、ミラノに入ってミュンヘンから帰国する旅程で購入した。

 今夏のスペイン旅行の際にもフィンエアーを利用し、会員にもなっていたので、わずかだがマイルも溜まっていた。フィンエアーではわずかなマイルでも航空券の支払いの足しにできる。

 早速に今回利用してみたところ、10,092マイルを利用して4,043円分が安くなった。せいぜい年に一度ぐらいしかフィンエアーを利用しない私にとってはなかなか良いシステムだ。

 トレッキングの目的地はイタリア北東部のドロミテアルプスだ。そのドロミテに入るまでは連れ合いと一緒にぶらぶらと北イタリアを観光して廻ることにし、その宿の手配も済ませた。連れ合いの方は現地で私と別れて一足先に帰国し、トレッキングは私だけの単独行となる。

 オーストリア国境の南に位置するドロミテアルプスはかつてはオーストリアの領土であり、南チロル地方の一部を形成している。イタリアでありながらドイツ語も使われているようだ。

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 ドロミテの山々は鋭く尖った針峰群が有名で、なかなか良い所らしいといった程度の予備知識しかなく、情報をリサーチしてみた。ネット上であれこれとやってはみるのだが、整理されてまとめられている情報は出てこない。ドロミテアルプスは広い範囲にいくつもの山群と谷が点在していて、目的地をはっきりさせて情報を絞り込まないといけないことだけは判ったのだが、ネット上の断片的な情報だけではそうした作業は難しい。

 あきらめてCICERONE社のガイドブックを購入することにした。チロルアルプスをトレッキングした際にも同社のガイドブックを購入している。

 アマゾンに出店している洋書店に発注し、イギリスから2週間で到着。送料込みで2,155円だった。購入したのは“Walking in the Dolomites”という本でマルチデイのトレッキングコースが28コース紹介されている。

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 このCICERONE社、イタリアだけでもいくつものガイドブックを出している。中にはアマルフィ海岸のハイキングガイドもある。アマルフィといえば高級リゾート地のイメージしかなく、ハイキングとの組み合わせは意外なのだが、なかなかに魅力的に思える。

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2015年10月12日 (月)

1億総活躍!!??

 安部政権で“1億総活躍”担当大臣ができたらしい。“総活用”かと思ってちょと耳を疑ったのだが、本音としてはそのあたりだろう。なにせ、官房長官が「出産で国家に貢献してほしい。」とまで発言するのだから。

 こうしたフレーズを考えつくセンスにはあきれるばかりだ。人々の多様性を尊重することは大事なことだと思うが、彼らにとってそうしたことは意識のはるか彼方にあるようだ。

 例によって、毎日新聞のコラムをご紹介

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昭和史のかたち:安倍首相の1億総活躍社会=保阪正康

毎日新聞 2015年10月10日 東京朝刊

◇過去の歪み 凝縮の表現

 安倍晋三首相の言語感覚はなかなかユニークである。

 9月30日に訪問先のジャマイカで随行記者団に、党内人事や新しい政策について説明したなかで、「1億総活躍社会」の実現を目 ざすことを改めて語った。言わんとするところは、人口減で先細りする労働力を案じて、このままでは日本の未来は開かれない、そこで新たな経済政策や雇用の 安定を図って、「1億総活躍社会」を実現させるということのようだ。

 この「1億」とは人口の概数を指して、いわば「国民全員が活躍できる社会」というのが本意なのだろう。活躍の意味も曖昧なら、 それがどのような到達地点なのかといった具体的なイメージもない。例によって麗句を口にし、なにやら幻想をまき散らすというのが、この「1億総活躍社会」 の意味ではないか。

 むしろあの日中戦争・太平洋戦争時に盛んに用いられた「進め一億 火の玉だ」とか「一億一心」などとイメージが重なり危なかし くて仕方がないというのが正直な感想である。つまり「一億」という語は、「聖戦完遂」とか「ファシズム体制」そのものを指しているというのが歴史的な用い られ方であった。

 たとえば「一億一心」というのは、国民が心をひとつにして聖戦完遂をとなる。国民精神総動員委員会の決定にもとづいて、 1939(昭和14)年9月1日から、阿部信行内閣の下で毎月1日は「興亜奉公日」になった。これが官報でも告諭された。この奉公日は、次のように規定さ れている。

 「全国民ガ特ニ戦場ノ苦労ヲ想ヒ、自粛自省、的確ニ之ヲ実際生活ノ上ニ具現シ、一億一心、興亜ノ大業ヲ翼賛シ、以テ国力ノ増強ヲ図リ、強力日本ノ 建設ニ邁進(まいしん)スルノ日」。「一億一心」を訴えるこの日は、ドイツがポーランドに進駐して第二次世界大戦が始まった日でもある。加えて日中戦争が 泥沼化していて、日本は身から出たさびとはいえ、そこから抜けだせずに苦悩を続けていた。

 国民精神をひとつにして、戦争政策に全面的に協力せよというのが、興亜奉公日(それを一億一心社会といっていい)の狙いである。阿部内閣のこの奉公日の規定は、現在にも通じていて安保関連法が現実に施行になったら、そのまま通用するのではないかといいたくもなる。

 「1億」は太平洋戦争下ではもっとおどろおどろしい意味をもった。開戦翌年の42年には、大政翼賛会のスローガンとして前出の「進め一億 火の玉 だ」という激しい言葉が採用され、主要な建物には、垂れ幕が掲げられた。作詞、作曲もされ、国民の士気を鼓舞する戦争歌としてことあるごとに歌われた。そ の冒頭は、「行くぞ行こうぞ がんとやるぞ 大和魂だてじゃない……」といった具合なのだが、戦況が悪化していくにつれ、これらの歌はヒステリックな歌い 方で国民の士気を鼓舞したのである。

 安倍首相の用いている「1億総活躍社会」は、もとよりこの時代のファナティックな意味をこめているわけではないだろう。しかし過去のこの国の歪 (ゆが)みが凝縮している「1億」などといった表現は慎むのが歴史的礼節であるならば、いささか無神経すぎるといった言い方をしてもいい。

 なにしろこの語は、状況が悪化していくと、「一億総玉砕」とか「一億総特攻」といった語にもつながっていく。いうまでもなくこのふたつの戦術を、 第二次世界大戦下で国家の軍事システムとして採用した国はない。日本だけである。ふつう全滅というのはある部隊の3分の1を超える兵士の戦死の状態を指 す。ところが日本は最後の1人までが死ぬことを全滅といい、全滅では大本営参謀たちの責任となるとばかりに「玉砕」という語に言い換えた。43年5月の アッツ島の玉砕からである。戦争末期には「一億総玉砕」の名のもとに国民全員に死が強要されつつあった。

 「一億総特攻」もまたそうであった。十死零生の作戦が、まずは学徒兵や少年飛行兵に、国家の非常時という名のもとに命じられている。

 「1億」という語には、恐るべき意味が数多くこめられている。戦後の歴代首相の演説や議会答弁で、この表現で自らの政策を語った例はほとんどない のではないか。国民の反発を買うと知っていたのであろう。戦後社会では、一評論家がテレビ時代を皮肉り、1億視聴者が思考をもたなくなるのではと案じた件 が思いだされてくるだけだ。

 10月7日に発表された第3次安倍改造内閣では1億総活躍担当相が生まれた。さて「1億総活躍社会」とは、私たちに何にむけて、どのような活躍を要求するのだろうか。不気味な表現に慣れるわけにはいかないと覚悟すべきだろう。

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 ■人物略歴

 ◇ほさか・まさやす

 ノンフィクション作家。次回は11月14日に掲載します。

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2015年10月 2日 (金)

MILES IN TOKYO

 久しぶりにBOOKOFFに立ち寄って中古CDを探していたら、“MILES IN TOKYO”が目に留まった。10代の終わりごろに初めてジャズのLPレコードを買ったのだが、それが“MILES IN TOKYO”だった。

 モノクロ写真のジャケットが何ともカッコよかったし、マイルスのミュートトランペットにしびれた。「これが大人の音楽なんだ」と。

 以来折に触れては再生していたのだが、アナログのレコードプレイヤーが壊れてからは聞くこともできなくなり、そのLPも手放してしまった。

 何十年ぶりに聞いてみたのだが、やはりこの頃のマイルスは良いね。ライブの雰囲気も良く出ているし、音質も思っていた以上に良い。

 録音は1964年7月、新宿厚生年金会館ホール。時代は移り変わり、会館はすでに取り壊されてなくなっているらしい。

 ちなみに同年10月に東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催されている。TVはまだモノクロだった。

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