世の中 Feed

2022年3月11日 (金)

労働組合の劣化がひどいことに・・・

 地元の労働組合センターである連合福井が春闘時期にあわせて対行政要請を行ったとのニュースが流れた。驚いたのはその内容だ。なんと「トップメッセージの発信による春闘気運情勢(春闘ムードづくり)」を要請している。賃上げするに「ムード」が必要なの?しかも首長にそのことをお願いしている。

 「官製春闘」の地方版のつもりなのだろうが、そんなこと行政に要請してどうする。自前で勝ち取るものでしょう。要請するのなら「最低賃金の引上げ」と「自治体から官製ワーキングプアを無くしていくこと」なのじゃないのか。連合もいよいよ末期症状の様を呈しているようだ。仲良しクラブか、はたまた陳情団体か。

 若い頃に全繊同盟(現:UAゼンセン)の組合員だったことがある。その時生まれて初めてストライキに参加した。とはいっても食堂に集まってダンスをしたりくつろいでいただけで、緊張感皆無のものだったけど。そのストライキはものの数時間で解除されてしまい、参加者一同がっかりとなった。形だけのストライキとはいえ、当時の労働組合は自前で「ムード作り」を行っていた。

 ヨーロッパでも韓国でも争議するべき時は争議をしている。そうして労働条件を自分たちの力で改善してきている。そのせいもあり、実質賃金で韓国は日本を抜いてしまった。彼らに「日本では労働組合がこうした陳情を行っている」と知らせたら笑われてしまうだろう。

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官製ワーキングプア関係サイトはこちら

行政要望活動を伝える連合福井のウェブサイト掲載記事は次のとおり

行政への2022春闘要請行動を実施

 連合福井では、特に地場で交渉する中小組合が交渉しやすい環境を整備するための取り組みとして、福井県内経済団体への要請活動を実施しましたが、3月に入り行政への要請活動にも取り組んでいます。
 「未来づくり春闘」と位置付ける2022春闘は、社会全体で賃上げに取り組む必要性や、政策的な下支えによる交渉環境の整備も取り組みの柱に掲げています。各自治体首長に対しては、トップメッセージの発信による春闘気運情勢(春闘ムードづくり)や、企業への支援策、介護・看護・保育などの現場で働く労働者の処遇改善を含めた「政策的な下支え」などへの理解と協力を求めました。
 この要請行動を、働く者のための政策・制度実現にもつなげたいと考えております。
 2022春闘は3月中旬にいよいよ第一のヤマ場を迎えます。
 引き続き、組合員のため・すべての労働者のために共に頑張りましょう!

2022年3月 4日 (金)

維新がまたもや・・・

 コラムニストの小田嶋隆氏のツイートはいつもチェックしているのだが、私などには気が付かない視点からの論評がなかなかに新鮮で、面白い。

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 「与党が持ち出しにくい案件を野党から提案する」ってところがミソなんだろうな。客分が鉄砲玉を経て組の者になる道筋だわな。

維新、「非核三原則見直し」「核共有」の議論求める 政府に提言へ(朝日新聞デジタル)#Yahooニュースhttps://t.co/SkjKPqpiBV

— 小田嶋隆 (@tako_ashi) March 2, 2022

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このツイートのリンクはこちら

氏が日経ビジネスに連載中のコラム

「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明

も楽しく読んでいる。リンクはこちら

2022年2月 7日 (月)

ヘイトスピーチ

 ツイッターをチェックしていて最近気になっていたのが、菅直人氏が橋下徹氏をヒットラーになぞらえたことで大反響となった件だ。

 ツイッターをいくら眺めても断片的な言説しか見えてこない。モヤモヤ感が募るばかりだったのだが、毎日新聞のこの記事を一読してすごくすっきりした。ヘイトスピーチという概念が広く認識されていない状況に付け込んで、自身への批判をすり替えるようなことが許されるようでは日本の未来は暗くなるばかりだ。

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「ヒトラー想起」と言えばヘイトスピーチなのか? 研究者に聞く | 毎日新聞


 すごい時代がやって来た。橋下徹元大阪市長の弁舌をとらえて「ヒトラーを想起する」と評すれば、あるいは先日死去した石原慎太郎元東京都知事の言動を批判すれば、どれも「ヘイトスピーチ」なのだ、と政治家が主張し始めたのだ。日本のヘイトスピーチ研究の草分け、前田朗・東京造形大名誉教授は開いた口がふさがらない。【吉井理記/デジタル報道センター】

 ――菅直人元首相がツイッター上で、橋下さんの名前を挙げて「主張は別として弁舌の巧みさでは政権を取った当時のヒトラーを思い起こす」(121日)などと投稿したことについて、橋下氏と関係の深い日本維新の会代表の松井一郎大阪市長が「ヘイトスピーチだ」と批判し、メディアやネットを巻き込んだ論争になっています。これ、ヘイトスピーチですか。

 ◆……全く違います。ヘイトスピーチではありません。世界はもちろん、日本にもそんな考えはない。それは歴然としています。ヒトラーに例えて論評することがふさわしいかどうか、という問題はありますが、ヘイトスピーチとは何の関係もありません。

 ――今さらですが、ヘイトスピーチとは何でしょう。

 ◆国際的に確立した定義はありません。ただし、国際人権規約(国連総会で1966年採択)の20条(戦争をあおったり、差別や敵意、暴力をあおる国民的、人種的、宗教的憎悪を唱えることの禁止)と、人種差別撤廃条約(65年採択)の4条(あらゆる人種的な優越や憎悪に基づく思想の流布、差別の扇動などの禁止)にあたるものをヘイトスピーチとするのが世界の共通認識です。現在では性別や障害に基づく差別扇動なども含むことが多い。

 ――日本ではどうでしょうか。

 ◆ヘイトスピーチ解消法(2016年施行)は2条で、ヘイトスピーチを「本邦外出身者(日本以外の国・地域の出身者やその子孫の居住者)であることを理由に、差別を助長・誘発する目的で心身や名誉、財産に危害をあたえるようなことを言うなど、地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」などと定義しています。在日韓国・朝鮮人、在日中国人への差別が念頭にあります。

 ――国際的な理解でも日本の定義でも、政治家の言動をヒトラーに例えるようなケースには全くあてはまりませんね。

 ◆そうです。かすりもしません。日本の定義で言うなら、橋下氏も松井氏も「本邦外出身者」ではありませんし、菅元首相の投稿も「本邦外出身者」であることを理由に、橋下氏らへの差別を助長して地域社会から排除しようとするものではありません。政治家による政治的論評に過ぎない。これをヘイトスピーチと同列に語る人たちの幼稚さにあきれています。

 ――国際的にはどうでしょうか。維新副代表の吉村洋文大阪府知事は菅元首相の投稿について「国際法上あり得ない。どういう人権感覚をお持ちなのか」(124日、府庁で記者団に)と批判したと報じられましたし、橋下氏も「ヒットラーへ重ね合わす批判は国際的にはご法度」(123日、自身のツイッターで)と発言しました。

 ◆どれもウソです。欧州をはじめ国際的にはユダヤ人を虐殺したヒトラーの礼賛こそ違法行為だし、ヒトラーになぞらえた論評を禁じた国際法などありません。世界では150カ国でヘイトスピーチを犯罪としていますが、そのほとんどが人種、国民、言語、宗教、ジェンダー等に基づく差別扇動をヘイトスピーチとしています。例えばドイツでは、刑法130条で「国籍や民族、民族性、宗教に基づき、集団や個人に対して憎悪や暴力をかきたてる言動」と定めている。ヒトラー礼賛もこれに該当すれば処罰されます。

 ――そう言えば「フランスやドイツではヘイトスピーチを法律で禁じ、その基準に従えば菅直人元首相のヒトラー発言は処罰対象となる可能性が非常に高い」との学者の発言がありました。この発言はツイッター上でも誤りと指摘され、議論が続いていますが、フジテレビの番組がほぼそのまま流していました。

 ◆何を根拠にそんなことを言うのでしょうか。無批判に流すテレビ局も論外です。ドイツは刑法130条を示した通りです。フランスでヘイトスピーチに対する処罰を定めたのは、例えば刑法624―3条があります。「出身や特定の民族集団、国民、人種、宗教の構成員か、非構成員であることに基づき、個人や集団について中傷をすれば罰金を課す。ジェンダーや性的志向、障害に基づく中傷も同じ刑罰を課す」などとある。「ヒトラー発言」とは何の関係もありませんから、「処罰される可能性が高い」こともありません。

 ――確かにフランスでは、例えば右派政党「国民連合」(旧国民戦線)やマリーヌ・ルペン党首をナチスやヒトラーに重ねた政治的論評や批判は主要紙にたびたび登場します。

 ◆ちなみに米国でも20年の米大統領選の際も、バイデン大統領やメディアがトランプ氏をヒトラー呼ばわりしていますし。つまり、日本の国内法はもちろん、各国の法や国際法からも、菅元首相の投稿がヘイトスピーチにあたることはありません。繰り返しになりますが、ある人物の政治姿勢や言動をヒトラーになぞらえることがふさわしいかどうかは別に議論すべきです。

 ――思えば、維新の吉村氏はヒトラー礼賛を公言してきた有名医師、高須克弥氏との交友をツイッター上でアピールし、大村秀章愛知県知事のリコールといった高須氏の政治活動まで支持してきました。国際的にあり得ないヒトラー礼賛を繰り返す高須氏について、まず吉村氏は批判すべきだと思うのですが、特に言及しませんね。

 ◆菅元首相の投稿についてあれこれ言っているのは、維新のライバルである立憲民主党を叩くことに利用したいだけでしょう。それこそどういう人権感覚をお持ちなのでしょうか。

 ――最後に愚問と知りつつお聞きします。先日死去した石原元都知事についてもツイッター上でバトルがありました。法政大の山口二郎教授が石原氏の女性や外国人などに対する過去の差別言動に触れて「日本で公然とヘイトスピーチをまき散らしてよいと差別主義者たちを安心させたところに彼の大罪がある」と投稿(21日)すると、自民党の長島昭久衆院議員が「こういうのこそヘイトスピーチだ」(同)と批判しました。ある人物の政治的言動を論評・批判することはヘイトスピーチですか。むしろテレビなどの石原氏礼賛一色の報道こそ異様に映りましたが。

 ◆自分と異なる意見や聞きたくないこと、不快に感じる、汚く感じる言葉がヘイトスピーチだ、と考えているのでしょうか。山口氏があの時期に投稿をした是非はまた別に議論すればいい。長島氏は国会議員です。政治家なら、自分が聞きたくない言葉をヘイトスピーチとくくる前に、ヘイトスピーチとは何なのかを学んでいただきたいと思います。それにしても、こんなことを許していたら、政治家ら権力者がますます喜ぶだけですよ。

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記事へのリンクはこちら

発端となった菅直人氏のツイートはこちら

日本維新の会は菅直人氏に対して正式に抗議したそうだが、維新の会ウェブサイトで「ヒットラー」「菅直人」と検索しても何も出てこない。

2021年12月23日 (木)

卑劣な国家、日本

 国が税金一億円を投じて無理やり民事裁判を終結させた。赤木俊夫さんの自死をめぐる損害賠償請求事件だ。事実関係を争わずに一方的に終了させるのは異例中の異例とのことだ。関係者の証人喚問は国によって封じられた。毎日新聞の与良正男氏は「日本はなんて卑劣な国家になったのか」と書いている

 真面目な公務員が自死を選ばざるを得ない状況を招いたのに、原因を作った人たちは今も平然と日常を送っているし、事を闇に葬ろうとしている。民事裁判の終結で真相解明のチャンネルがまた一つ潰されたことになる。

 videonewscomも記事を無料公開中

2021年12月10日 (金)

"日本維新の会”って・・・・。

 先の衆院選のこと。維新が候補者を立てた大阪府内の選挙区で全勝したのには驚いた。田舎に住んでいるとさっぱり実感が湧かないし、不思議でしょうがない。

 なにせ、維新系の政治家はこれまで犯罪や不祥事を連発している。記憶に新しいところではカジノリゾート誘致をめぐる収賄、知事リコールの署名偽造。おふざけ系では市長室にサウナを持ち込んだ池田市長、「汗をかく」ことは自動でできるようになるな・・。

 新型コロナウィルスでも人口あたりの死亡率は大阪府がダントツの1位なのだが、吉村知事の人気は衰えないらしい。

 そんな政党が支持されるって・・・、何故、なに?

 で、関西学院大学の冨田宏治氏がインタビューに応えている記事を見つけた。

 その記事はこちら

2021年11月13日 (土)

安い日本

 最近「安い日本」という言葉がちらちらと聞こえてくるようになった。購買力からみた一人当たりGDPは韓国に抜かれて世界第30位。1997年から実質所得がずっと下がり続けていて、そんな国はOECD加盟国の中で日本だけとのこと。社会学者の宮台真司は「悪夢の自民党政権25年」と言っている。

 その宮台氏、知的エリートとしての自負が言葉の端々から漂って、不遜と思える面もあるのだが面白い学者だ。政治・経済・哲学はもちろんのこと、性愛事情やサブカルまで間口も広いが、奥行きも広い話を展開してくれる。

 いつもはvideonews.comの番組でのコメンテイターとしての話に感心しているのだけど、前編、後編併せて1時間というまとまった話の聞けるビデオがあったのでご紹介する。 

2021年9月18日 (土)

Netflix制作ドキュメンタリー「9・11から20年」

 Netflix制作のドキュメンタリー番組は秀作が多く感心するのだが、"ターニング・ポイント(9・11と対テロ戦争)”は全5話、5時間を超える力作。

 9・11当日の被害者はもちろんのこと、かつてのタリバン政権で閣僚だった人物や反タリバンの北部同盟関係者へのインタビューも行っていて、アメリカ制作の番組としては相当な客観性を持たせたものとなっている。ただ、客観性があるといっても米軍によるドローン攻撃によって被害を受けた人々へのインタビューは無い。

 そうした限界はあるものにせよ、この20年を振り返り、未来のことを考えていくうえで見るべき番組となっている。

 ところで、アメリカ合衆国は建国から現在に至るまで領土拡張と権益確保のために絶えず戦争を行ってきている。戦争に明け暮れてきたと言っても良いぐらいだ。アメリカが関わった戦争の年譜を見ると実に壮観だ。こちら

 そうなので、9・11が発生したというニュースが流れても「起きて不思議はない」と感じられて、驚いた記憶はない。それより強烈な違和感を感じたのがビンラディン殺害の映像を眺めて、歓喜の笑みを浮かべ拍手するノーベル平和賞受賞者、オバマの姿だ。

 このドキュメンタリー映画はそうした疑問に何かの回答を示しているわけではないのだが、問題がどこにあるのかを理解するひとつの手立てを提供している。もちろん受取り手次第なのだが。

2021年8月24日 (火)

映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」

 この映画、一部で評判になっていたのは知っていたのだが、扱っているテーマがあまりに重たそうなのでついつい避けていた。

 三島の著作は手に取ったことがないし、全共闘運動の内実というのも良く知らない。私の三島体験といえば高校の授業時間に教師が興奮した口調で「先ほど三島が自決した」と話してくれたことと、後で見たその時のバルコニー演説の映像ぐらいだ。

 その事件の一年前、右と左を象徴していて互いに交わることがないと思われていた者達が討論会に臨んだ。呼びかけは東大全共闘、応じたのは三島。この映画はその記録映像と関係者へのインタビューで構成されている。

 いざ見始めてみると、スリリングな展開に磁石のように引き付けられてしまう。対峙する中にもユーモアを織り込む三島の語り口が新鮮だ。討論は熱を帯び、次第に観念論に流れて難解になっていく。もう理解できなくなるのだが、合間に挟まれる識者のコメントが助けになってくれる。

 映画の終わり頃、ナレーターが発する言葉がこの討論を象徴的に言い表している。曰く「熱と敬意と言葉」。比べるのも非礼だと思うが、昨今の国会討論なんかに決定的に欠けている要素だ。若い世代にもこの映画を見てもらたいものだ。

 

 追記)歴史的資料としてこの討論のフルバージョンをどこかで見られるようにすべきだと思う。

2021年8月 9日 (月)

"反貧困ネットワーク"が社団法人に

 コロナ禍が依然拡大していて先が見えない状態が続いている。政策的に作りだされてきた日本の貧困も深まるばかりだ。若い時分にはこういう未来は想像できなかった。

 我が身のことを振り返ってみると、日本の高度成長の最終期に就職し、途中の転職はあったけど失業の経験はせずに定年を迎えることができた。子供の頃はそれなりに貧しかったのだが、社会人になってからは貧困を感じることはなかった。もうそうした世代は出てこないから、最後の世代だろう。

 「反貧困ネットワーク」はリーマン・ショック以降に顕著化した日本の貧困に取り組んでいる様々な運動体のネットワーク。権力にしがみつくことしか眼中にない政治家と比べてみると、なんと尊い活動なのだろうか。私もこれまで何度かカンパをしてきた。

 そのネットワークが法人化したとのことで、賛助会員のお誘いが届いた。もちろん会員になった。少しでもお役に立てば。

 ネットワークの日常活動

 ホームページはこちら

2021年7月26日 (月)

東京オリンピックの中間総括

 元来スポーツイベントは嫌いだ。高校の体育祭も途中でエスケープして、近くの級友宅で悪事を行っていた。

 オリンピックもあまり関心はなかったのだが、東京オリンピックをめぐっての今回の一連の騒動で広く知られてきたことがある。それは美辞麗句で修飾された理念や建前の裏に暗黒面が隠されているということだ。犯罪の影さえつきまとっている。

 そういう気分の中で"五輪というダークファンタジー”というタイトルが私の目に留まった。作家の島田雅彦氏が書いた毎日新聞のコラムだ。"ダークファンタジー"とは言い得て妙だ。現時点での中間総括としてコンパクトに良くまとまっている。

記事へのリンクはこちら

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五輪というダークファンタジー 島田雅彦さん、開会式に思う | 毎日新聞

 

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開会式が無観客開催となった国立競技場(奥)周辺を歩く島田雅彦さん=東京都新宿区で2021年7月23日午後4時4分、関雄輔撮影

特別寄稿 作家・島田雅彦さん

 1964年の東京オリンピック開会式を見た三島由紀夫は毎日新聞に寄稿し、反対論者の主張に理を認めつつ、「やっぱりこれをやってよかった。これをやらなかったら日本人は病気になる」と書いたが、57年後の今大会では「これをやったせいで、日本人の病気は悪化する」という正反対の事態に直面する。新型コロナウイルスの感染爆発だけでなく、政治、経済、マスメディア、市民生活を蝕(むしば)む病巣が確実に拡大し、日本は敗戦も同然の状況に陥りかねない。誰もその責任を取らないところも、先の大戦と同じだ。開催をゴリ押しした人々は、事後の惨状の責任を追及されても、全員が貝になり、口を固く閉ざすのだ。

 終戦から19年後に開催された64年東京大会は、日本が人権、民主を尊ぶ普遍的国家として国際社会に復帰したことをアピールし、戦後復興と経済成長の成果を謳(うた)いあげる祭典としての大義はあった。強引な開発による弊害もあったが、大会をさらなる発展の起爆剤にする「成長期のオリンピック」だった。それに対し、今大会は大義もなく、成長も見込めない、関係者の利権配分のためだけに実施される、時代錯誤の「終末期のオリンピック」である。

 振り返れば、今大会は誘致の段階から不正と虚偽のオンパレードだった。ロビー活動での賄賂疑惑、新国立競技場建設過程でのゴタゴタと予算膨張、エンブレム盗作疑惑、猛暑問題、組織委の予算濫費(らんぴ)、会長の女性蔑視発言、不適切な開会式演出プランや人選、国際オリンピック委員会(IOC)の拝金主義とぼったくり、委託事業者による中抜きなど、オリンピックのダークサイドがこれでもかというくらい露呈した。

 オリンピックの成否の公正な評価など誰にもできないが、主催者視点で考えてみれば、平和の祭典、感動と勇気を与えるといった美辞麗句で世界を騙(だま)しおおせれば、成功であろう。さらに建設会社や広告代理店、委託事業者、IOC、スポンサー企業が儲(もう)かる利権構造が完全に機能し、セキュリティー対策と称して監視システムを強化し、開催反対論を封じ込め、国威発揚や政権支持率の向上に結び付けられたら、大成功と考えるだろう。逆説的意味において、歴史上、最も成功したのは36年の第11回ベルリン大会だったかもしれない。

 ナチス独裁政権下のオリンピックは、反ユダヤ主義政策や他国の侵略計画を巧みに隠蔽(いんぺい)しつつ、アメリカの商品広告の手法を駆使し、古代ギリシャとナチスのイメージを結び付けるために聖火リレーという儀式を編み出し、競技を通じてアーリア人種の優位性を誇示した。露骨なオリンピックの政治利用はここから始まったわけだが、アメリカも近代オリンピックの創始者クーベルタンもナチスの接待と宣伝工作に乗せられ、ボイコットの声を封殺した。その4年後には日本が「紀元二千六百年記念行事」としてベルリン大会を模倣しようとするが、日中戦争拡大により幻となる。今回も誘致段階で、安倍晋三前首相が福島原発事故の「アンダーコントロール」発言をし、「復興五輪」の建前で国際世論を欺いたが、その隠蔽手法も「ナチスに学んだ」(注1)のだろう。復興は後回しにされ、仲間内で大政翼賛への回帰を夢見る「復古五輪」にすり替えられた。菅義偉首相の「コロナに打ち勝った証し」発言も「安全安心」発言も、現実離れした妄言だったが、IOCも東京都もその妄言に便乗し、オリンピックの黒歴史を反復した。オリンピックには常にナチスの影が付きまとうので、それを払拭(ふっしょく)するための努力を怠った途端、差別や蔑視、独善の体質が透けて見える。

 

 今大会で噴出した諸問題のほとんどはこれまで積み重ねてきたことの結果であり、ツケである。当初予算の4倍、ロンドン大会の2倍の予算を濫費しながら、しょぼさを感じてしまうのはなぜか? 感染対策の不備、運営上の混乱、選手村のみすぼらしさを見るにつけ、予算の使途に大きな疑念を抱く。「多様性」を謳いつつ、実態が伴わないテレビコマーシャルのような開会式も、観客がいたら、バッハIOC会長の長過ぎる能書きにブーイングが起きただろう。どうやら業務の委託を受けた広告代理店や人材派遣会社による中抜き、組織委員会の破格の待遇という内輪の利益誘導システムだけは万全に機能していたようで、大損失のオリンピックでも焼け太りした人々に対する怨嗟(えんさ)の声が上がるのは間違いない。

 市民にはパンとサーカス(注2)を与えておけば大人(おとな)しくしていると施政者は思っただろうが、パンもケチられ、サーカスの損失まで負担させられるとなったら、どれほど寛容な人でも施政者を恨み、呪うだろう。もちろん、サーカスに興じるも、白けるも個々の自由だ。選手も勇気と感動なんて与えなくてもいいので、無観客の競技場で、誰のためでもなく、自分のために孤独な戦いに臨めばいい。戦場には観客はいないものだ。自宅で、病院で、職場で、商店街で、被災地で、それぞれ孤独な生存のための戦いを強いられている市民と選手の連帯はリモートでも可能である。新たに登場したスターへの熱狂によって直面する諸問題をしばし忘れてもいい。その熱狂もすぐに冷め、怒りの矛先は再び「ずるい奴(やつ)ら」、「嘘(うそ)つき」に向かう。

 

注1

 2013年7月、麻生太郎副総理兼財務相が憲法改正に関し「(ナチスの)あの手口に学んだらどうかね」と述べ、国内外から批判を浴びた。

注2

 古代ローマの詩人ユウェナリスの言葉で、パン(=食べ物)とサーカス(=楽しみ)を与えることで市民の批判精神を奪う愚民政策のたとえ。

島田雅彦(しまだ・まさひこ)さん

 1961年生まれ。東京外国語大ロシア語学科卒。大学在学中の83年「優しいサヨクのための嬉遊曲」でデビュー。著書に「虚人の星」「君が異端だった頃」「スノードロップ」など。

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