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2017年1月

2017年1月30日 (月)

軽トラックのマフラーを交換しようとしたのだが

 かつて通勤に使っていた乗用車は退職するちょっと前に処分し、その後は普段の足にも農作業にも軽トラックを使っている。

 その軽トラック、経年によりマフラーに穴が開きひどい騒音がするようになった。カー用品店でパテを購入して穴を埋めてみたのだがひと月ともたない。

 そこで新品のマフラーを購入した。メーカー純正でなければお値段もわりと手ごろ。本体が9,154円、送料が756円。オールステンレス製でしっかりしている。

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  マフラーの交換は一度経験済み。一番の難関は古い部品の取り外しだ。ボルト類が錆付いているうえに、高熱によって部品同士が固まってしまっていてなかなか外せない。

 で、前日から潤滑油(CRC)をボルト廻りに吹き付けて事前準備し、取り外しをやってみた。結果は見事にナットの山を舐めてしまい、レンチが空回りするだけ。自力交換はそこでアウト。

 それ以上どうすることもできないので馴染みの自動車会社にマフラーを持ち込んで取り付けてもらった。外せないボルト類は切断するしかないとのこと。さて、技術料の請求書はいくらになるのだろうか?

2017年1月13日 (金)

マレーシアの交通事情とスマホアプリ

 マレーシアはバスやタクシーの公共交通機関が日本と比べて安い。特に長距離バスは格安だ。

 クアラルンプールのバスターミナルからマラッカのバスターミナルまで距離にして137Km、高速道路を利用して2時間ちょっとなのだが、横三列シートのデラックスバスで13.4リンギ(約350円)という安さ。30人乗車したとして10,500円なので、そんな料金で果たして燃料代がペイできるのか・・・? チケットはオンラインで買える。

 真新しいクアラルンプールのTBSバスターミナルTbs2

 タクシーも安いのだが、メーターを使って料金を請求するタクシーが少なくて、料金の交渉が面倒。私といえば、元来タクシーを利用するのはどこの国であろうと苦手なのでマレーシアでもほとんど利用しなかった。初対面の人と密室空間で話をしたり、沈黙をとおすというのはちょっと苦痛だ。

 例外で利用したのはホテルからバスターミナルへ移動する時。ホテルをチェックアウトしベルボーイにタクシーを呼んでもらうように頼んだのだが、あいにくホテル前で待機している車がなかった。

 するとベルボーイが自分のスマートフォンを取り出し何やら操作し始めた。操作していたのは“Uber”というアメリカ発祥のスマートフォンアプリ。登録してある一般車両をタクシーのように配車手配するサービスを展開している。手配履歴が残るのでドライバーとのトラブルも少なく東南アジアでは急速に伸びているらしい。

 待つことしばしでホテルフロントに車が到着。ヒュンダイ製の中型セダンでバスターミナルまでのドライブは快適、ドライバーも感じの良い人だった。ノートラブルのうえ道程14Kmの料金が28リンギ(約730円)と格安だった。

 いろんなスマートフォンアプリの登場で、どんどん旅のカタチ(というか生活のカタチ)が変化している。いよいよ私もスマートフォンが必要になってくるのかも。田舎にひっこんで農作業をしている分には特に必要はないのだけどね。

2017年1月12日 (木)

マレーシアで食べたもの

 年末から行って来たマレーシア、食事の方は安食堂でとることが多かった。マレーシアは多民族国家なので食事のバリエーションが豊富だ。庶民が普段に使うような食堂で安くて美味しいものをいろいろと食べることができる。

Restoran Yusoof Dan Zakhir

ピラフとカレー系おかず数種、二人で25リンギ(約650円)。おかず類は指差し注文できる。Dscn0386_017 

Saravanan Restaurant

カレー定食と追加のチキンカレー、二人で28.1リンギ(約730円)、ご飯や副菜はお代りしてくれる。美味しいのだが、最初の盛りを完食したところでお腹一杯に。Dscn0423_018

 Tim Ho Wan

名物の酥皮焗叉燒包、一皿10.8リンギ(約280円)。ミシュラン1つ星を獲得した香港の点心専門店のフランチャイズ店のようなのだが、ハズレだった。味もサービスも全くだめ。Dscn0445_020

Pak Putra Tandoori & Naan Restaurant

看板料理のタンドリーチキンとホウレン草カレー、それにナン、どれも味は最高。二人でおなか一杯になって36リンギ(約940円)Dscn0450_021 

Mei Sin Café

ドライ・ワンタンミー、ワンタンは小さなスープ椀に2個、妙に癖になりそうな味。4.5リンギ(約120円)

宿の近くの店で、いつ通りかかっても満席の人気。チキンライスやサテーもある。マレーシアでは珍しくビールの大瓶が置いてあり、酒好きにはうれしい店。Dscn0451_022

2017年1月11日 (水)

メリル・ストリープ、いいことを言ってくれるね。

 彼女、ゴールデン・グローブ賞の授賞式で、トランプ次期大統領の行動を批判するスピーチを行い話題になっている。スピーチ全文の日本語訳が毎日新聞に掲載されたのでご紹介する。控えめな表現だけど、ずばりと本質を突いている。トランプが頭に来ているのはそのせいだろう。

 ハリウッド映画界って魑魅魍魎が跋扈する世界かと思っていたけど、違う一面もあるのだね。

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スピーチ全文

ありがとう。皆さん、愛しています。許してください。週末に叫んだり大泣きしたりしてしまって声が出ないのです。それに年初から気が動転していて。なので書いたものを読みます。

 ハリウッド外国人映画記者協会の皆さん、ありがとう。ヒュー・ローリーが先ほど言った話に続けると、ここにいる皆さん、私たちはみんな、米国社会の中でも最もけなされているグループに属しているのです。考えてみてください。ハリウッド、外国人、そして記者です。

 ですが、私たちは何者でしょうか。ハリウッドとはそもそも何でしょうか。それは、いろいろな場所からやってきた人々の集まりなんです。

 私はニュージャージー州で生まれ育ち、公立学校で学びました。ビオラ・デイビスはサウスカロライナ州の小作農民の家に生まれ、ロードアイランド州のセントラルフォールズで成長しました。サラ・ポールソンはフロリダ州に生まれ、(ニューヨークの)ブルックリンでシングルマザーに育てられました。サラ・ジェシカ・パーカーはオハイオ州で7、8人のきょうだいの一人でした。

 エイミー・アダムスはイタリア・ベネト州のビチェンツァの生まれです。そして、ナタリー・ポートマンはエルサレム生まれです。彼らの出生証明書はどこにあるのでしょうか。

 美しいルース・ネッガはエチオピアのアディスアベバで生まれ、そう、アイルランドで育ちました。バージニア州の小さな町の女の子を演じて受賞候補になっています。

 ライアン・ゴズリングはカナダ人です。いい人たちばかりのね。デーブ・パテルはケニア生まれのロンドン育ちです。彼は今回、タスマニアで育ったインド人を演じました。

 つまりハリウッドはアウトサイダーや外国人だらけなんです。もし、その人たちを追い出してしまったら、見るものなんてアメリカンフットボールと総合格闘技ぐらいしかなくなります。けれども、それらは芸術ではありません。

 時間がないので続けます。役者の唯一の仕事とは、私たちと異なる人々の人生に入っていき、それがどんなものなのかを人々に感じてもらうことです。この1年間、それをやり遂げた力強い演技がたくさん、たくさん、本当にたくさんありました。まさに息をのむような、思いやりに満ちた仕事でした。

 けれども、ある演技には、あぜんとさせられました。それは私の心に釣り針のように引っかかりました。演技が良かったからではありません。ただ、何一つ良くはないのに、効果的でした。そして、狙った観客を笑わせ、歯をむき出しにさせました。

 それは、この国で最も尊敬される席に座りたがっている人が、障害を持つ記者の物まねをしたときのことです。特権、権力、反撃力において、はるかに自分が勝っている相手に対しての行為です。

 その光景に私の胸は打ち砕かれ、いまだに頭から離れません。なぜなら、映画の世界ではなく現実で起きてしまったことだからです。

 権力者が公の場で他者をばかにしようとする衝動に身をゆだねてしまえば、あらゆる人たちの生活に波及します。人々に同じことをしてもいいと、許可を与えることになるからです。

 侮蔑は侮蔑を招きます。暴力は暴力をあおります。権力者が立場を利用して他人をいじめれば、私たちはみな負けるのです。いいわ、やりたければどうぞ続けてみなさい。

 これは報道の話につながります。私たちには、報道する力を持ち、どんな横暴に対しても厳しく批判する信念を持った記者が必要です。だからこそ、建国者たちは報道の自由を憲法で定めたのです。

 お金持ちで有名なハリウッド外国人映画記者協会と私たち映画界の皆さんにこれだけはお願いします。私と一緒にジャーナリスト保護委員会を支援してください。ジャーナリストが前に進むことが私たちには必要だし、彼らも真実を守るために私たちの手助けを必要としているのです。

 もう一つ。セットの脇に立って愚痴をこぼしていたことがありました。わかるでしょ、夕食抜きで働いたり、長時間働いたりすることがあるんです。そのとき、(俳優の)トミー・リー・ジョーンズが言ったの。「メリル、役者でいられることだけですごい特権じゃない?」

 ええ、その通りです。私たちには共感を呼ぶ特権と責任があることを、改めて自覚し合わなければなりません。私たちはみな、ハリウッドが今夜ここで栄誉を与える仕事に誇りを持つべきです。

 私の友人で、親愛なる亡きレイア姫はこう言っていました。「打ち砕かれたハートを、アート(芸術)に作り替えましょう」

 ありがとう。【訳・隅俊之、岩佐淳士】

 参照した記事はこちら

2017年1月 9日 (月)

マラッカ、30年ぶりの再訪

 1986年に初めてマレーシアを旅行し、シンガポールへの途中に立ち寄ったのがマラッカ。年末から年明けにかけてクアラルンプールを経由して30年ぶりにそのマラッカを訪ねた。

 田舎の地方都市だったマラッカはすっかり様変わりしていた。スチームボードを食べた海岸沿いのレストラン街はなくなっていて、海辺は埋め立てられ、そこに大きなショッピングセンターや大型ホテルが連なっている。

 チャイナタウンは世界遺産に指定されて、小奇麗なプチホテルやカフェがツーリストを引き寄せている。 ただ、中心部を少し離れると営業を止めている店や売りに出されている店舗が目立つ。Dscn0433_015

 マラッカ川沿いには遊歩道が整備されているのだが、歩いてみるとドブの匂いが鼻につく。Dscn0426_016

 大きく変化したマラッカだが、変わっていないものもあった。30年前に泊まった安宿は変わらずに営業を続けていた。Dscn0436_014

 記録では1泊24.2リンギット(当時のレートで約1,500円)。今のレートにすると650円だけど、いくらなんでも、今はそんな料金ではやっていないだろうな。

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