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2016年2月

2016年2月25日 (木)

マッドマックス 怒りのデス・ロード

 SF映画のサバイバル物は好きなジャンルなのだが、マッドマックスの旧シリーズはどうも好きになれなかった。今回の“怒りのデス・ロード”もレンタルショップの棚にズラーっと並んでいたのだがスルーしていた。

 ところが毎日新聞に掲載されている映画コラム“藤原帰一の映画愛”で氏が大絶賛している。どうも、芸術とか娯楽とかを区分する意味がなくなるような傑作らしい。そこで、準新作になったのを機会にようやくにしてレンタルしてみた。

 人も金も情熱も何もかも圧倒されるような物凄いエネルギーが注ぎ込まれた映画だというのがまずもっての感想。全編ほとんどがカーアクションの連続なのだけど、無駄な映像、無駄なカットがひとつもない。大したものだ。

 “大したもの”な映画なのだが、旧シリーズ同様SF映画というより著しくバイオレンスに偏向している映画なので、「ちょっと私の好みには合わないな。」というのが最終結論。傑作であるのは間違いないので、映画好きだったらやはり一度は見ておくべきなのだろうね。

Madmax

コラム“藤原帰一の映画愛”へのリンクはこちら

2016年2月20日 (土)

台北への小旅行を計画

 3月末に名古屋へ出かけてロック・コンサートを聴くことにしているのだが、ついでにちょっと足を延ばして台北へ出かけてみようと思い立った。台湾料理は好きだし、故宮博物院も未訪のままになっている。

 中部空港セントレアからはLCC3社が台北へ飛んでいる。検討した結果、往路はタイガーエアー、復路はジェットスターでチケットを手配した。料金は追加オプションをまったく付けずに往復2万円程だ。

 まあ安いね。ちなみにJRの新幹線運賃を調べてみたら、名古屋からだと片道1万円では横浜にたどり着けない。

 3月末はそろそろ忙しくなる時期なのだが、早めに手を打てばなんとかなるだろう。

 話はかわるのだが、台湾ということで思い出すものに、昔々にポーパーズMTVというTV番組で流れていたミュージックビデオがある。“火車火車(ペイシャ・ペイシャ)”という歌のフレーズだけ覚えていたのだが、YOUTUBEで検索してみたところちゃんと出てきた。

 このビデオは傑作だ。出てくるシーンをまとめれば芝居の脚本が一本書けそうだ。

  歌っているのは“羅大佑”という台湾のロッカー、国民党政権下では公共放送や教育現場で台湾語を使うことが抑圧されていたのだけど、この人は堂々と台湾語を使ってロックした“反骨の人”だ。

※ビデオに漢字の字幕が出るのは広東語圏や北京語圏など台湾語が理解できない中華圏の人達のため。

2016年2月18日 (木)

民泊が始まるようだ

 最近ちょくちょく話題になっている民泊が東京都大田区で始まるとのニュースがあった。大田区が特別区域(特区)に指定され、旅館業法の特例として区内限定で始まるとのこと。民泊とは普通の住宅やアパートの一室を旅行者の宿泊施設として提供することだ。

その第1号物件(画像はWIKIPEDIAより)Sj_villa_kamata_a

 部屋面積25㎡以上、連続して6泊以上の滞在が認定条件なので普通の日本人が利用するのはかなり厳しい。週末の東京観光に利用するのは無理だ。

 ヨーロッパではこうした形態の宿泊施設はわりとあって、私も何度か利用したことがある。建物入り口で管理人と落ち合って鍵を渡され、帰りは郵便受けに鍵を落としていくだけ。ソフト面のサービスはないが、部屋が広くて居住性は良く、その割には料金も安い。旅行者にとってはホテルやペンション以外に宿の選択肢が広がるし、その街に暮らしているような気分が味わえるのが良い。

 ネットの発達でそれまで埋もれていた超マイナーな本や音楽が流通するようになったのと同じように、工夫しだいでは個人経営のこうした小さな宿が人気の宿になっていくかもしれない。

 最近のことだが、いつも利用している大手宿泊予約サイトでバンコク市内のホテルを調べてみたところ、口コミ評価の上位に有名ホテルを押しのけて聞いたこともない名前のゲストハウスが並んでいる。

 疑わしいような口コミで上位につけている宿もあるのだが、個性的で泊まってみたくなるような宿もある。

 そのうちのひとつをご紹介する。“BANGKOK BED AND BIKE

 泊まってみたくなる宿だね。

2016年2月12日 (金)

ドロミテ・トレッキングの宿を手配開始

 夏のトレッキングまで半年前になり、宿の手配にとりかかった。

 基点となる南チロルの中心都市Bolzanoのホテル料金を調べると、並のホテルでもシングル1泊が90ユーロ以上もする。ちょっと高いので普通のホテルはあきらめて、ユースホステルにすることにした。

 Bolzanonにはネット上の評判がなかなかに良いホステルがある。ところがトレッキングの開始前のシングルルームは予約がとれたのだが、トレッキング終了後にBolzanoに戻ってから泊まろうとする分がもう空いてない。ハイ・シーズン中だし、ユースホステルにはそもそもシングルの部屋は少ないからだろう。もう少し早く手を打てばよかったと後悔しても、もう後の祭りだ。

 仕方なくトレッキング終了後の宿は中心地から少し離れてはいるが、感じが良さそうなペンションに泊まることにした。バス共用の部屋で1泊66ユーロと結構な料金。昨年夏に泊まったバルセロナ中心部のペンションがバス共用で1泊60ユーロだったので、田舎町にしては割高に感じる。ちなみに北スペインでは大都市から離れた田舎町だと40~50ユーロで快適なバス付きのシングルに泊まることができた。

1泊だけ確保できたユースホステルのシングルルーム、バス付き朝食付きで32ユーロとは格安だ。人気が高いのもうなずける。Hostelbozen

 北イタリアの一人旅ではユースホステルが狙い目なのかもしれない。

2016年2月 4日 (木)

従軍慰安婦問題

 従軍慰安婦問題が日韓政府間でなんとか決着をみたようだ。立場が変われば物の見方も変わるものだけど、そのことを理解せずに相手を非難するばかりだけの人達が多いのは困ったものだ。今度の合意は日本自身が過去に行ってきた努力を蒸し返して、ちゃらにしようとするそうした“困った人達”に支持されている安部政権が行ったものなので、国内的に見ても一つの前進なのは間違いない。

 慰安婦問題に限らず多様な立場や考えを知っておくのは大事なことなのだが、欧米からの情報は取り上げられても沖縄や韓国からの情報はなかなか伝わってこない。韓国の新聞も日本語の電子版を出しているけど、なかなかそこまでフォローするのは手がまわらない。

 ちょうど毎日新聞に同紙が提携している朝鮮日報記者のコラムが掲載されていた。日本のマスコミ情報だけではわからない彼の地の人々の率直な気持ちを知りえてなかなかに新鮮だった。

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記者の目

韓国紙記者が考える慰安婦問題=鮮于鉦・朝鮮日報論説委員(元東京特派員)

 

忍耐と配慮、日韓に必要 鮮于鉦(ソヌ・ジョン)

 ソウルのある大学で昨年末、50人ほどの学生たちに日本との歴史問題について講義した。「(植民地支配や慰安婦問題などで)日本が謝罪をしてきたと思う人は手を挙げて」と言うと、誰も手を挙げなかった。

 私は、日本政府が過去に行った謝罪の文言を集めた資料を学生たちに見せた。

 過去の侵略と植民地支配を謝罪した1995年の村山富市首相談話と、未来志向の日韓関係をうたった98年の日韓パートナーシップ共同宣言、村山談話を踏襲した2005年の小泉純一郎首相談話、韓国を植民地化した日韓併合から100年で出された10年の菅直人首相談話だ。

 1人の学生にそのうちの一つを読み上げさせた。彼は、菅談話を選んだ。

 「痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることはできないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明いたします」

 もう一度、「日本は謝罪したと思うか」と聞いてみた。今度は半分以上の手が挙がった。手を挙げなかった学生に「なぜ謝罪していないと思うのか」と聞いた。彼は「日本の政治家たちが後から違うことを言うから」と答えた。

政治家の言動で「謝罪」浸透せず

 歴史問題に対する韓国人の日本認識をよく示す場面だ。今までに行われてきた日本の謝罪を韓国人は知らないか、無視してきた。そして日本では謝罪の真意を疑わせるような言動が続いた。だから、韓国では「日本は謝罪していない」と考えられてしまう。

 私は教室で、慰安婦問題に対する謝罪を表明した93年の河野洋平官房長官談話を読み上げた。

 「心身にわたり癒やしがたい傷を負われたすべての方々に対し心からおわびと反省の気持ちを申し上げる。(中略)われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい」

 そして、こう続けた。「私たちが河野談話を守るよう求めながら、日本が謝罪しなかったと主張するのは矛盾ではないか」

 河野談話が発表された時、韓国は日本の謝罪を高く評価した。

 だが、日本が元慰安婦に渡そうとしたアジア女性基金の「償い金」は、法的な賠償ではないという理由で多くの被害者に拒絶された。当時の金泳三(キムヨン サム)大統領は、元慰安婦に対する経済的支援を韓国が行うと言った。世論もこれを支持した。「この問題で日本の金を受け取ることは屈辱を重ねることになる」という心理も働いたのだろう。韓国政府は2回にわたる支援を行い、大部分の犠牲者は貧困から救われた。

 それなのに、なぜ被害者たちは今も日本に法的賠償を要求するのか。日本の立場からは不思議に思えるだろう。

 それは、いまや「法的賠償」が被害者たちにとって一つの理念となっているからだ。

「法的賠償」要求、国際社会後押し

 国際社会では90年代以降、戦時下の女性に対する性的搾取が注目されるようになった。ルワンダ内戦と旧ユーゴスラビア内戦で多くの女性たちが性的被害を受けたことが契機となった。

 国連人権委員会の特別報告者が慰安婦問題を犯罪だと規定し、日本に賠償を求めた背景にも、こうした国際社会の流れがある。韓国の被害者と支援団体の主張を国際社会が後押ししてくれたのだ。

 韓国社会は全般的に彼女たちの努力を支持した。慰安婦問題での「法的賠償」という要求は、植民地支配の不法性を表す象徴となった。韓国人の多くが昨年末の慰安婦問題に関する合意を支持しないのも、このためだ。

 しかし、支持しないから破棄しろというのではない。韓国でも慰安婦問題については「もう決着させねば」という世論が強い。

 ただ、この問題の解決には忍耐と時間が必要だ。相手を刺激する不用意な言葉が合意を紙くずにしてしまう。そのことを忘れてはならない。

 ソウルの在韓日本大使館前に建つ慰安婦問題を象徴する少女像の移転には時間がかかるだろう。韓国世論の中で「相手の過ちをさらす象徴を大使館前に設置したことが正しいのか」と疑問視する流れができなければならない。

 そのためには、お互いに合意を尊重し、相手に配慮する姿勢が重要だ。日本側が少女像に強い関心を持つことは知っているが、もうしばらく時を置くのが賢明ではないだろうか。強い要求は、強い反発を呼ぶだけである。【訳・澤田克己】

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