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2019年5月

2019年5月26日 (日)

福井市民憲章

 地区のイベントが行われ、その冒頭で市民憲章が唱和された。いつも思うのだが、憲章の前文というのは悪文の典型だ。
 一応紹介しておくと、
「わたくしたちは 不死鳥福井の市民であることに誇りと責任を感じ
 郷土の繁栄と幸福をきずくため 力をあわせ 不屈の気概をもって
 このねがいをつらぬきましょう」
 というもの。

 福井市民全体を指すと思われる「わたくしたち」が「誇りと責任を感じ」て、他者である誰かに「ねがいをつらぬきましょう」と呼び掛けている。というふうに解釈できると思うのだが、主語が福井市民全体とすれば、呼び掛けの対象となる他者はもう残されていない。誰もいない他者に呼び掛けてどうするの。それとも「わたくしたち」とは福井市民のうち限られた者なのか?
 「わたくしたち」を市民全体を指すものとして、前文の基調を「誓いの言葉」とすればすっきりすると思うのだが。それにしても句読点もないし、センテンスが長すぎるけど。
 で、最小限に添削してみた。

「わたくしたちは 不死鳥福井の市民であることに誇りと責任を感じ、
 郷土の繁栄と幸福をきずくため、力をあわせ、不屈の気概をもって
 このねがいをつらぬきます。」

 調べてみると憲章は1964年に制定されている。理想や理念を憲章として掲げることはかまわないと思うが、憲章の本文は主権者である市民を子供扱いして、教示を垂れる類のものだ。恥ずかしいのでいいかげんにやめたらどうかと思うのだが、そうした声は聞いたことがない。皆さん大真面目に唱和している。

 憲章全文はこちら

 憲章誕生の経緯はこちら

2019年5月16日 (木)

雨宮処凛が語る「平成の貧困」

 この人は学者でも流行作家でもないのだが、ずっと貧困問題に向き合ってきた人だ。私にとってはなんだか身近に感じられて、気になる人だった。

 平成が終わり元号が令和に改まったこと受けて、平成を振り返る新聞記事が目につく。そうした中で、ちょうどこのインタビュー記事が目にとまった。貧困の現場に身を置いてきた当事者として鋭く問題を指摘している。世代によって世の中がまったく違って見えることに気が付く。全文をご紹介。

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令和のはじめに 浸食する「貧困」 インタビュー 作家・雨宮処凛

毎日新聞2019515日 東京朝刊

平成バブルの崩壊後、「就職氷河期世代」と呼ばれる若者の貧困問題が注目された。昭和の高度成長が克服したはずの貧困は、雇用状況の変化に伴い、再び社会の表層に。構造は令和に入っても変わらない。同世代を代表する作家の雨宮処凛さんに貧困や「生きづらさ」の背景、解決への希望を聞いた。【聞き手・鈴木英生】

不安のシグナルを放置し続けた平成

--令和という新元号を知った印象は。

 とっさに、「え! (雨宮さんが10代の頃から好きな)ビジュアル系(ロック)バンドのメンバーの名前にありそう!」と思った(笑い)。たとえば、青い長髪をツンツンに立てたニヒルなベーシスト「REIWA」といったイメージだ。私だけではない。ビジュアル系バンドのファンや関係者の中には、令和の響きに、なぜか親近感を覚えて盛り上がっている人が多い。(バンドの)ゴールデンボンバーは、新元号の発表後1時間で新曲「令和」をインターネットに流している。

 意味のないお祭り騒ぎと思われるかもしれないが、平成の貧困を生き延びた私たちの空虚さの表れなのかもしれない。私が中学2年生の時に平成が始まり、今は44歳。改めて振り返ると、私たち就職氷河期世代にとって何一つとしていいことがない時代だった。第2次ベビーブーム世代として厳しい受験戦争にもまれ、バブル景気に浮かれる大人たちを見て育ち、「就職すれば楽になれる」と思っていたのだが……。

--バブル崩壊後には長期不況がやってきました。1993~2004年に大学などの卒業期を迎えた世代約1700万人中約400万人が今も非正規社員や無職者です。

 彼ら元「就職難民」は、08年のリーマン・ショックで追い打ちをかけられて、大勢が「ネットカフェ難民」になってしまった。私たちの世代は「ロスジェネ」(ロストジェネレーション=失われた世代)と名付けられて注目され、反貧困運動も盛り上がったが、これもブームに終わった感が……。子どもを産み育てる年齢になれば少子化対策で多少は救われると信じていたがそうもならず、多くの人が結婚適齢期を過ぎて出産のタイミングも逃した。私の周囲では、「自分たちは(子孫を残せない)絶滅危惧種」と自嘲している人もいる。第3次ベビーブームは、起きなかったのではなく、起きなくさせられたのだ。

 私の同世代の人であれば、友人や知人に必ずといっていいほど、「『いい大学』へ進んだのに就職で失敗し、ずっと同じアパートに住んでいてフリーターのまま」といった人がいる。戦中戦後の若者は、周囲に必ず戦場を経験した人がいたはずで、これと似ているだろう。親と同居する独身の35~44歳は今、全国で約300万人。結婚して子育てをしながら親の面倒をみているのではなく、低収入や無職で結婚したり親と別居したりできない人が少なからずいるわけだ。正規雇用の人も「一歩間違えれば自分も無職だったのだから」と、どんなにブラックな会社でもしがみつかされてきた。程度の差こそあれ、誰もが貧困への恐怖にあおられ続けている。

--貧困を、個人や世代の資質の問題だと片付ける人も少なくありません。

 私たちは、平成の初期から「若者バッシング」のネタにされてきた。心の闇、モラトリアム、自分探し、ケータイを持ったサル、3年で辞める若者……。今思えば、こうして批判された事象の多くが、行き場のない不安のシグナルだったのだけれども。それに対して政府は平成の半ばに、「若者の人間力を高めるための国民運動」なるものをぶち上げた。とんちんかんの極みとしか言いようがないが、全く悪意なしに「若者は根性をたたき直せば定職に就く」と信じていた人は多いのではないだろうか。

 リーマン・ショックの前後から若年貧困層の増加が注目された結果、問題は根性ではなくて雇用や格差であり、グローバル化など社会・経済構造の変化が背景だと指摘されるようになって、「若者たたき」はようやく下火になった印象だ。ところが、それと併せて、若者による事件や年長者に理解できない行動が、社会全体で考えるべき問題として論じられる機会が減ってしまったように思う。かつての地下鉄サリン事件(95年)や神戸小学生連続殺傷事件(97年)のときは、話を「不可解」だけで終わらせずに、社会情勢の変化などと絡めて解釈するような力学も働いていた。だが、今では、容疑者個人がマジョリティー(多数派)とは無関係なモンスターとしてたたかれて、すぐ忘れられる。

社会に残る丁寧な優しさ積み上げて

--社会問題であれなんであれ、答えが出ないことや「難しい」ことを考えない風潮が広がっているのではないでしょうか。

 インターネット投稿のアクセス数のように、目先の成果だけが大切な時代になっている。短期的な「結果を出せ」というプレッシャーが強まり、じっくりとものを考えるような「何もしない時間」が奪われてきた気もしている。私は上京して丸26年だが、あの頃は、ただ散歩をしたり、ぼんやりと物思いにふけったりする余裕が今よりもあった。予備校生で先の見えなかった当時よりも、経済的に自立している今の方が余裕はあるはずなのだが……。今はなにかにつけ、「こんな無駄なことをしていたら誰かにしかられる」「こんなに時間を無駄にした」と思ってしまう。

 同じような強迫観念が社会に充満しているのではないだろうか。「充実」した生活をSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)にアップし続けて、全世界へプレゼンしないといけない。「朝活」と称して、出社前から英会話やヨガで自分を磨き、玄米菜食で健康に配慮……。そもそも、就活(就職)はもちろん、婚活(結婚)、妊活(妊娠)、終活(死去)と、人生のあらゆる節目で「活」動を強要されている。いつのまにかリングへ上げられて、気づけば「見せ場を作れ! 勝て! 短時間で! 効率的に!」と命じられているようなものだ。この強迫観念は、貧困に対する恐怖や失敗した人への極端な冷たさとも関連しているだろう。

--平成の間、社会的弱者にとって前向きな変化はなかったのでしょうか?

 企業では女性の管理職が以前よりは増えたし、近年は性的マイノリティー(少数派)などの存在が注目されるようになったり、多様性を尊重しようとする文化が芽生えたりしたとは思う。とはいえ、平成元年の流行語が「セクハラ」で去年の流行語は「#MeToo」だ。「何も変わっていない」は言い過ぎでも、牛歩並みの前進という感じだろう。

 しかも、性別や国籍などが以前より多少は問われなくなった代わりに、新卒一括採用の壁や正規労働者かどうかの区別はくっきり残っている。「非正規だからこそ、せめて安心して暮らせる住まいを得たい」と思ってもローンが組めなかったり、賃貸住宅の入居審査にも落ちたり。私自身、初めてクレジットカードを持てたのは3年前で、それまでは何回も審査に落ちている。「フリーランスで仕事をしているから」ということ以外に原因が考えられない。

--今の就職氷河期世代が高齢者(65歳以上)になると、生活保護受給世帯が急増すると指摘されています。

 私たちの世代が、社会の「不良債権」扱いされかねない。日本では納税者教育も主権者教育も不十分なため、社会的な振る舞い方としては「消費者」であるか、「クレーマー」になるかしか知らない人が多い。おかげで、生活保護受給という当然の権利を行使した人が、「怠け者」「落後者」扱いされかねない。当事者もそう思い込みかねない。生活保護受給者の自殺率は世間一般よりも圧倒的に高いのだ。特に怖いのは、少子高齢化や財政難を背景に、一部の事件の被告や識者の発言などから、命の選別を容認する風潮が広がり始めたことだ。「障害者は死んでいい」「終末期医療はやめていい」「生産性がない人が死ぬのは仕方がない」--などと。高齢などで働けなくなった非正規労働者も、同様に見なされていくのだとしたら……。

 平成最後の数年で、いちばん言ってはいけない「本音」が「建前」を突き破ってしまったのではないだろうか。既に手遅れかもしれないが、賃金体系や社会保障、社会風潮からライフスタイルまで、非正規も望めば結婚や子育てが安心してでき、年を取れるように、変わらねばならない。私たちだけではなく、より若い世代にとっても大切なことだと思う。今の雇用情勢は以前と比べて確かに売り手市場ではあるが、不安定な雇用形態の求人が多く、若年層ほど非正規率は高い。年長者は、若い世代が「堅実すぎる」「消費をしたがらない」などと嘆くが、彼らがそうなった一因は、社会が彼らに対して、私たち世代の苦境を見せつけ続けたせいなのだと気づくべきなのだ。

--希望を持てる動きはないのでしょうか。

 この数年で、地域の子どもたちに無料や低料金で食事を出す「子ども食堂」が全国で1000以上もできる大ブームになったことには驚いた。近所の女性同士などが身の丈に合った範囲で助け合い、子どもの貧困や孤立、親の家事負担を解決する糸口を見いだしている。最近知った事例では、子どものプライドを傷つけないように、学校の長期休み前に「調理実習」と称した会をやり、子どもたちに「休み中は毎日ここで調理実習をしますから、来たい人は来てください」と呼びかけているという話に感動した。こうした、丁寧な優しさが、まだこの社会には残っているのだ。そこから、新しい時代を積み上げていくしかない。


 ■人物略歴

あまみや・かりん

 1975年生まれ。高校卒業後に上京し、予備校生、フリーター、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー「生き地獄天国」で作家デビュー。「生きづらさ」をテーマに格差・貧困問題などに取り組む。近著に「非正規・単身・アラフォー女性」。


記事へのリンクはこちら

2019年5月14日 (火)

韓国映画 “1987、ある闘いの真実”

 韓国現代史にはそれなりに関心があるのだけど、せいぜい新聞記事に目を通す程度で、この映画が扱っている1987年の民主化運動のことはなにも記憶に残っていない。その年の暮れには家族で呑気に韓国旅行に出かけたというのに。

 最近になって、この映画を含めて韓国民主化関連の映画を続けて3本視聴した。「タクシー運転手~約束は海を越えて」、「弁護人」、そしてこの「1987、ある闘いの真実」。私の中でこれらは韓国民主化運動3部作となった。

 この“1987”は中でも最もシリアスだ。主要な登場人物は実在の人で、民主化運動の過程で犠牲となり亡くなった人もいる。遺族がその遺灰を川辺に撒き、慟哭するシーンには胸を打たれた。

 この年の一連の運動が大統領の直接選挙を時の政権に認めさせ、軍事政権の終わりの始まりとなったのだから今の韓国社会の出発点となっているといえる。

 日本の隣人である韓国社会のバックグラウンドに何があるのか。この映画はその一つを示している。見ておくべき映画だと思う。

 韓国の新聞は軍事政権下で当局の統制に唯々諾々と従い社会的信用を失ったのだが、今では報道の自由度世界ランキングでアジア勢トップの41位、日本ははるか後方の67位だ。

 1987年民主化運動についてはこちら

 報道の自由ランキングについてはこちら

2019年5月11日 (土)

グラフィック・ソフト“GIMP”

 グラフィックソフトは昔々のWindows95時代にCorel社の“PHOTO-PAINT 7J”を購入し、長らく使ってきた。95→98→XP→7とOSを変えてもちゃんと動作する驚異のソフトだった。
 OSをWindows10に切り替えたのを機会に、グラフィックソフトも乗り換えすることにした。ペイント系のソフトで有名なのが“GIMP”、Adobe社のPhoto Shopに匹敵するとの声もあるのにフリー(無償)のソフトだ。過去にも何度か使ってみたことはあるのだが、肝心のレイヤーを操作する方法が掴めずに投げ出していた。その“GIMP”に再々挑戦することにした。
 最新の“GIMP”2.10.10をインストールし、ブログにアップする画像の加工をやってみたのだが・・・。やはりレイヤーが作れない、ヘルプファイルを見てもなんだか良く解らない。
 ネット上で検索すると情報は出てくるのだが、どれも古いバージョン向けのもので、いまいちだ。それでも、それらを参考にしながら試行錯誤を何度か繰り返してみると・・・。ついにレイヤーを使って画像を加工することができるようになった。解ってみれば別に難しいものではない。Gimp

 それにしてもこの“GIMP”はすごいソフトだ。「使いこなす」なんてことはとてもできそうにないほどすごい。もし「GIMP教室」というものがあれば受講料を払ってでも参加したい。

2019年5月10日 (金)

SDカードから写真データを復元

 Jpegの写真ファイルをLAN経由で移動させたところ、破損してしまった。色がおかしくなっていたり、画像の一部にノイズが入っていたりする。
 幸いにカメラのSDカードからPCに取り込んだ直後だったので、消去したデータをSDカードから復元させてみることにした。
 EaseUS社製の“Data Recovery Wizard”というソフトのフリー版をインストールし、そのソフトのガイダンスに従ってSDカードをスキャンさせてみた。すると、何年も前に消去したはずの写真データがぞろぞろと出てきた。その数1,100枚。

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 その中から数枚の該当データを選択し復元を実行。無事に復元することができた。
 これまでもPCのバックアップにはEaseUS社のフリー版ソフトを使ってきていて、トラブルの際には何度も助けられてきた。たまに使う程度にはそうしたフリー版で充分用を足すことができるのだけど、何せ無料だ。EaseUS社はどうやって利益を出しているのだろうか?

 ソフトはこちら(フリー版はずっと下の方に出てくる)

2019年5月 9日 (木)

旧今立町の大瀧神社を訪問

 和紙の里へは何度か行っているのだが、すぐ近くにあるこの神社のことは最近になるまで知らなかった。知ったのは偶然目にした“BRUTUS Casa”web版の記事でのこと。神社建築の傑作と評され、全国の木造建築ファンが訪れるらしい。地元に住んでいながら知らなかったなんて恥ずかしい限りだ。
 以来、「いつか、そのうちに」と機会をうかがっていたのだが、普段の生活圏からはかなり遠いし、ドライブも好きではないので延び延びとなっていた。
 田植え作業もひと段落したこともあり、今回ようやくにして訪問した。大鳥居から古民家が立ち並ぶ参道をしばらく歩いていくと、格調高い宝塔がずらっと並んだ正面に出る。宝塔に刻まれた紋は三つ葉葵。正面の石段を上っていくといよいよお目当ての本殿が待ち構えている。国の重要文化財にも指定されている建物だ。

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 木造建築のことはまったく知識がないのだが、拝殿と本殿の屋根だけが合体していて、うねうねとした複雑な曲線を形作っている。そうした造作は他に例をみないらしく、見ごたえは充分。周囲を飾る彫刻の数々もすばらしい。

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 独創的なこの建物の建築を指揮したのは現在の永平寺町の大工の棟梁で“大久保勘左衛門”という人物、建立は1843年とのことで、調べてみるとペリーの黒船来航の10年前になる。
 神社のある地域一帯は古くから和紙の製造で栄えたのだけど、これだけの神社を建立できた当時の財力は大したものだったのだね。

 帰りに越前市駅前に寄り、そばを頂いた。Dscn1858

“BRUTUS Casa”の記事はこちら

日経の紹介記事はこちら

CGでの解説記事はこちら

2019年5月 7日 (火)

永遠の名作映画 ‟スタンド・バイ・ミー”

 映画を配信サービスで見るようになってからの一番の変化は、最後まで見終えずに途中で止めてしまうことが多くなったことだ。なにしろ作品の選択肢が多すぎるし、配信会社のお薦めや他人の評価もあまりあてにならないので、期待して見始めても外れてしまう作品が多いからだ。便利にはなったのだが、映画に向き合うという姿勢は自分のなかで低下してしまった。

 何本かこうしたことが続くと、すっかり時間を無駄にした気分になって、過去に視聴したことがあって自分としての評価が高い作品を選択することになる。そうした中の一本が“スタンド・バイ・ミー”、後に夭逝したリバー・フェニックスが注目された作品だ。1986年公開なのでもう30年以上前の映画。

 過去に自分で高く評価していても、見直してみると「それほどでもなかったかな?」ということも結構あるのだけど、今回の‟スタンド・バイ・ミー”は評価を更に上げることになった。

 思春期に差し掛かろうとしている微妙な年代の仲良し4人組が主人公。彼らはどこかの少年が事故死したという情報を聞きつける。世間の注目を引こうと、その死体を探し出すために泊りがけのハイキングに出かけるのだが・・・。。

 途中で波乱万丈の冒険があるわけでもなく、淡々とハイキングの道中が描かれていくだけなのだが、最後まで引き付けられる。何気ないセリフが自然な演技と相まって少年達のバックグラウンドや心の内を深いところまで掘り下げていくことになる。脚本、演技、カメラ、すべての要素が完璧なほどにかみ合った、人生で見るべき映画のひとつだと思う。

 ベン・E・キングが歌うタイトル曲(1962年発表)も永遠の名作だ。

  劇中、まだ駆け出しだった頃の“キーファー・サザーランド”と“ジョン・キューザック”が出ているのを見つけた。二人とも若いね。

 別な映画で私が生涯ベストワンにしている作品があるのだが、封切り時に劇場で見たのを最初で最後にして、その映画だけはもう二度と見ないでおこうと心に決めている。

2019年5月 3日 (金)

バリ島へのフライトで座席を事前指定

 ユナイテッド航空のマイレージを使ってタイ航空のバリ島往復チケットを確保している。今回のように予約した航空会社と運航する航空会社が違っている場合に、座席の事前指定ができるかどうかやってみることにした。

 ユナイテッドのサイトで予約内容を確認するとすでに適当に席が指定されている。同行する連れ合いは別のマイレージを使って購入したので席は離れ離れだ。それを変更しようとすると「現在のところ、この便での座席の選択および変更はご利用いただけません。座席の割り当てはチェックイン時に行われます。」とのメッセージが出てくる。

 情報を検索してみるとユナイテッド航空ではなく運航会社で事前指定をすれば良いとのこと。そこでタイ航空のサイトで予約番号を入力してみると、「該当なし」と出てきた後にチケット番号の入力を促す画面に切り替わる。そこへチケット番号を入力してみるのだが、やはりだめだ。「チケット番号にはハイフォンでの区切りが必要だ」と言ってくる。

 ユナイテッドのチケット番号にはハイフォンがないのだが、示された例のとおりにハイフォンの区切りを加えて入力してみたところ、ようやく予約したフライトが出てきた。その後の操作は普通の座席指定と同じ、ANA国内線も含めてすべてのフライトの事前指定を完了することができた。エコノミーでの長時間フライトを少しでもましに過ごすには席が重要だ。

Tg0503_2座席指定が完了した後にタイ航空から旅程表が送られてきた。それに記載されているTGの予約番号はUAのものとは全く違っている。

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